堕胎について思うこと




子供を堕ろすことを選ぶと
まず堕ろすことについて批判され
さらには避妊せずにするのがおかしいと
批判される。

なぜその背景を考える想像力がないのだろうか?

そもそも避妊していたとしても
それは100%ではないし、好きな相手と
寝ないでいることは可能なのだろうか?

わたしは無理だわ。


わたしは妊娠したとき19歳で
堕ろすつもりでいた。

勿論、好きな人との子供なのに喜べないことは
とても辛かったし
今でもその気持ちは続いている。

当時彼氏だった旦那にしか妊娠したことを
言わなかったし、
ぎりぎりまで誰にも言わなかった。

堕ろしたかった理由は以下の通り。
・お金がない
・バイトをクビになったばかり
・旦那は当時学生
・両方親との関係がよくない
・やっていけるか不安
・旦那と二人でいる時間がもっとほしかった
・人生設計に子供はなかった
・毒親育ちなので親と同じことをしそうで嫌だった
など。

それも全てどうにかなるじゃんと思う人も
いるかもしれない。
でもわたしにはそうは思えなかった。

実際ほったらかしにした結果、
6ヶ月まで病院に行くことなく過ごした。

6ヶ月手前で初めて婦人科へ行き、
堕ろしたいことを言うと、先生が説得を始めた。

阿鼻叫喚になるしお金もかかるし
死産届も出さなくちゃいけないし、何より
自分が堕胎手術をしたくないと言われた。

結局産むことになってしまい、
産むまでは毎回泣きながら診察を受けた。
毎回堕ろしたいと言った。

家族との関係がよくないことを言っても
家族は最後は味方だからと言われた。

これは毒親育ちにとって
非常に苦しい発言である。

そこそこいい家庭環境に生まれ育った人のみが
言える言葉でしかないのだから。
金銭面然り精神面然り。

親には8ヶ月あたりで初めて妊娠していることを
告げた。勿論知らなかったとすっとぼけて。

親の第一声は、
「堕ろすお金なら
 相手の親も出してくれたんじゃない?」
だった。

ちなみに親は堕胎経験がある。
のにも関わらず、娘に対する発言がこれである。

おめでとうなんて言われなかった。

誰からも望まれていない方が子供のためにも
よくないと思った。わたしも辛い。

どうせ生まれるのならたくさんの人に
愛されて生まれてきてほしいと思わない?

もう子供は6歳だけれど、この6年の間にも
嫌なことがあるとすぐに産まなければよかったと
思ってしまうことがある。

今はすっかり子供のことを好きだし大事だから
そう思いたくはないのに思ってしまうので
とてもつらいのだけど、せめて産むときまでに
産みたいと思えてたら違ったのかもしれない。


話は戻るけれど。


堕ろすには金銭的不安や、
まだ子供を育てるのには不安がある場合、
産むにはやりたいことが残りすぎている場合、
周りの援助が得られない場合、
もしかすると望んでいない相手とだった場合、
色々あると思うけどなぜそういうところは無視して
堕ろすことそのものを批判するのだろうか。

堕胎がいいものとは思わないけれど、
必ずしも悪というわけではないはず。

産んで虐待したら?
殺してしまったら?

そっちの方は考えないのだろうか。

産んで親が幸せと感じられなければ
自然と子供は邪魔になるし、
産んで養子に出せばいいと言う医者もいるけど、
身体だけぼろぼろになって子供は手放すの、
中々できないんじゃないかなあと思ったり。
(自分はそれは嫌だった)

なんでもかんでも自分の中の正義を貫くと
誰かが苦しくなるはず。

堕胎を決めても苦しむ人だっているし、
精一杯考えた結果堕ろすことを選ぶ人だって
いるはず。それを何も事情を知らずに
責め立てるのはとてもきついことである。

産むことは一人の人間の人生を生み出すこと。

考えた結果堕ろすのなら
それは子供のためでもあると思う。おわり。



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