見出し画像

私が発酵のことをnoteに余り書かなくなったわけ

8月5日(水)は発酵の日ですね。というわけで、発酵についてなんか書くべき日なのですが、実のところ、『発酵』について書くモチベーションがあんまり上がっていないです。

というのは、『別に自分でなくてもいい』に尽きてしまうのです。実際、半とnoteをやっていて、発酵系で一番アクセスがあるベスト3は


の3つです。

でも、これ『別に私じゃ無くても説明出来ること』であり、もっと言えば、何も『私の記事がインターネットで初出ではない』知識ばかりです。「こうじ 酵母 違い」で検索すれば、本当に、何十件もの記事が出てきます、

つまり、世の中にプラスを何も生み出していない

ということに気づいてしまっている状況です。

世の中には、発酵について書かれている素晴らしいコンテンツがたくさんありますし、私よりも分りやすく教えることに長けている人はたくさんいます。小倉ヒラク君や麹の学校のなかじ君などが代表的で優れた発信力を持っていらっしゃるし、もっと言えば、発酵の泰斗、小泉武夫先生のような知の巨人、偉大な先達のみな様もたくさんいらっしゃるわけです。また、それぞれの業界団体やメーカーなども非常に優れた解説を打ち出されています。

そのような人が、既に素晴らしい解説をし、書籍としてもインターネットとしても、十分な知識が溢れている中、あらためて、私が発酵の知識のまとめ記事を書くような『車輪の再発明』をする意味があるのかな?というところです。

教えるプロがいる

セミナーや講演会に呼ばれて、『麹の話をしてください』といわれることがあります。ただ、一般向けで、だいたい60~90分の時間で出来る話って、農学部の授業だったら、最初の1コマに当る部分の話か、シラバスで提示されていることの要約ぐらいしかお伝えできない。

(逆に言えば、大学の授業って、もの凄いお得です。学生さんは恵まれてることを自覚して欲しいと常々思っています。同じ知識を社会人として得ようとすると何倍もの講演料やセミナー料がとられます。)

あるいは、下手をすると、中学校や高校の理科の授業レベルのことを、かみ砕いて伝えるだけでおわってしまうことが大半なんですね。別に、『私しか出来ない話』に到達できるところまでいけないんですよね。

そして、分りやすく伝えるなら、それは、『分かりやすく伝えること』が本職の人にはかなわないです。それは、『学校の先生』だったり、あるいはオリエンタルラジオの中田敦彦さんのような、『教えるプロ』がいるわけです。

だとしたら、私がすべきことは、そういう『プロ』に誘導することや、良質なコンテンツを紹介していくことこそが、本来すべきことじゃないか、という疑問が、この半年ほどnoteを続けていて、感じているところです。

要するに『ちゃんと学校の理科の授業大切に受けようね』ということを伝えるのが、実は一番根本的に社会のためになることではないか、と思うところです。

発酵で伝えるべきことのスタートの知識って、そして、それは恐らくどんなことでもそうなのですが、最初の10時間目までぐらいの基礎ってのは、数学で言えば三平方の定理みたいなもので、誰が教えても同じ知識を教えてもらうことになる、というもので占められていると思うのです。だから『基礎』なわけで。

実際、あるセミナーだと、セミナーとしての依頼を受けて、非常に綿密な企画書だったり、あるいは当日にレジュメまで用意されて「こういうことを話して下さい」と設定されていたりします。

そして、そこに書いてあることは非常に良く出来ていて、間違いも無く、そのレジュメ自体が良テキストで、作成されたことに素直に敬意を表するのですが、一方で「自分で無くても良いな」それなら分りやすく伝えるプロに任せるべき、という想いが募ってもいます。

回りくどく書きましたが、ようするに『『知識』を教える』なら、別に、私で無くてもいいなと思うのです。

自分が『発酵』を伝える意味

もちろん、種麹に関するような、ビオック、糀屋三左衛門の内部にしかない、強い独自性のある世間に公開されていない知識、であれば、私の必要があるのですが、正直、そこまでいくのって、時間もかかるし、そもそも、オファーとして求められている『麹の話』と外れるというか、マニアックすぎるんですよね。多分、90分とかのセミナーってのは、もっとライトなところを求めているわけで。

そうなってくると、私が喋る意味ってのは、『麹のプロから直接聞いたという体験』にあるのだろうなと。そして、講演料やセミナー良をいただいている場合は、『知識』に値段がついているので無く、『体験』に値段がついてる状態なのかなと。これをブランディングでは『機能的価値』『情緒的価値』と言ったりしますが、まあ、そういうことなのかなと。

ちなみに、私はちゃんと講演やセミナーも値段は取ります。私だけで無く、また、発酵に限らず、講演やセミナーになるほどの知識は、その業界全体で培ったものでもあり、そして、教える個人も長い時間をかけて身につけたことだからです。そこに、適切な経済的価値は発生すべきだと考えます。

その上で、食品関係の講演やセミナーは、少し安く感じます。食品というのは特に『より多くの人に、より良いものが、よりお値打ちに行き渡るように』という圧力が強く、また、『安全や健康に関する知識は一般市民も無料で手に入るべきもの』というテーゼが大きいからとも思います。

もちろん、無料で手に入るなら素晴らしいですが、そのためには知識を産みだした人にも対価が入るようにすることが担保されてる必要があると思います。ボランティアでは持続しません。

なぜ『体験』に需要があるのか

翻って、私の『体験』に価値があるとしたら、それは逆説的に言えば、学校の授業とか、書籍とか、学会とかが信用されてないから、信用できそうな肩書きの人から聞きたい、ということなのかと思います。

そして、信用できそうな肩書きとして、種麹メーカーの二十九代というのが説得力を持っている。それは、ありがたいことではあるのですが、本当は、そこにとってかわるのではなくて、学校とか学会とか『ちゃんと教えるべき筋がある人』の価値を高めることのほうが、正しい道ではないか、と思うわけです。

かかりつけ医の指導が信用できないから、親戚のお医者さんにも聞いてみる、ってところなのかもしれません。それならまだいいですが、それが、信用しているテレビのコメンテーターの言うナントカ健康法を信じる、になってくると、『ちょっと待って』になります。

だとすると、そもそもは『最初のかかりつけ医』をちゃんと尊重する世の中にする方が正しいのじゃないか、ということとも言えるでしょうか。

自分の中でも結論の出ていない話です。

そんななかで、なかじ君から、「そんなに、毎回、ためになるはなしじゃなくてもいいんじゃない?」ということで、ラジオのお話をいただきました。

発酵から少し離れて、ためにならないはなし、をしていきたいと思います。

■日時
2020年8月8日22:00〜

■場所
なかじの発酵YouTubeチャンネル
https://bit.ly/3aAoucn

※チャンネル登録しておいていただけるとライブ配信の告知が届きます。
 
■視聴方法
8月8日の22:00になりましたら上記のチャンネルより生配信されますのでYouTubeチャンネルを開いてお待ちください。

とりとめの無い話を書きました。

今日の話はここまで。

最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683