値上げは食品メーカーの逆襲~「良いものをより安く」は、もはや正義ではない~
食品の値上げラッシュが続いています。これは、食品メーカーがついに耐えきれなくなった逆襲に近いと考えています。その背景には「良いものをより安く」という『古い正義』があるのではないかと考えます。
相次ぐ値上げラッシュ
近年の経済情勢により、食品の値上げラッシュが報道されています。しかし、私は、この値上げラッシュは、いわば、食品メーカーの逆襲、長年、不当に安く販売価格を抑えられてきたメーカーが、ついに耐えきれなくなった悲鳴に近いものがあると体感しています。
食品の物価は下がった
消費者物価指数を元に、私が作成した表です。この20年、日本はデフレ経済と言われてきました。その中で、物価指数で見ると、2000年を100とすると、『国内旅行」「外食」などのサービス産業の物価は上がっていますが、『味噌』『醤油』については、この2000年でじりじりと値下げしているということが見て取れると思います。
では、『味噌』や『醤油』の価値が、2000年以降の20年で下がったのでしょうか?
そんなことはありません。
日々、絶え間ない研究があり、商品価値の向上があります。見た目に分かりやすい例では、パッケージが変わりました。大手メーカーが二重構造のボトルを開発したことで、醤油の鮮度が長持ちするようになりました。
本来、このように品質を向上することが出来れば、それが価格に反映されるはずです。しかし、価格に反映されていない。とすれば、その研究開発に要した投資は回収できません。
その分、どこかにしわ寄せがいっています。
『良いものをより安く』の罪
長年、日本の商業界は『良いものをより安く』をモットーとしていました。
戦後、日本に物のない時代には、「誰もが生活必需品を手に入れられる」ことが、社会としての目標でした。お金持ちだけが、便利な家電を変えたり、衣食住を整えられるのではなく、一般庶民も、日常生活品が、値段を気にせず手に入る世の中ということです。
この時代に活躍したコンサルタントで渥美俊一さんという方がいます。その方があるインタビューでこう答えていました。「所得を3倍にすることは出来ないが、価格を3分の1にして提供することはできる。」と。
つまり、国民が幅広く、生活必需品に困らない生活を送るための方法として、『所得を上げる』ことでなく『価格を下げる』方法を選びました。
『良いものをより安く』は半ば信念のように、日本の経済界、特に流通小売業の経営者に広まっていきました。『生産者主導の価格ではなく消費者のためになる価格』として、目の前のお客様が喜ぶ『良いものをより安く』の実践に邁進していきました。
ここに、大きな落とし穴がありました。
生産者と消費者を分けて考えていたのです。
しかし、実際の経済は、生産者と消費者は同一人物です。生産者として稼いだ給料が、消費の源泉になります。
稼いだ給料で物を買い、その購入代金が誰かの給料になり、その誰かの給料で、今度は、自分が作ったモノやサービスを買ってもらうことで、自分の給料になって戻ってくる。
この循環構造が、完全に抜け落ちていました。
そして、『良いものをより安く』型の小売店の主力商品である「日常生活品」に近ければ近いほど、この影響は甚大なものになりました。
食品産業の進展はサービス業に集中
『モノ消費』から『コト消費』の時代になったと言われます。モノが溢れる時代、生活必需品には困らなくなった時代には、サービスや体験の方に価値が出る時代になったというような意味で使われます。
実際、マスメディアなどで触れる限り、日本は飽食の時代とよばれ、連日、多くのグルメ情報がメディアで報道されています。
このような状況で『食品製造業が成長していない』といわれても、ピンとこないかもしれません。
しかし、それを実証するのが次のデータです(出典:『食と農の新しい倫理』)
このグラフは、食に関わる、農水産業・飲料食品製造業・飲料食品小売業・外食産業などの産業別の付加価値の変遷です。
グラフから分かるとおり、「食」の発展による経済的な恩恵は、ほぼ『外食産業』が締めています。
食品製造業はこの50年ほどの間、ほとんど、経済的な恩恵、付加価値の増大を実現できていません。
この背景には『良いものをより安く』の呪縛が横たわっています。
コト消費が『良いものをより安く』と結びつき、やりがい搾取になった
『良いものをより安く』は、モノが無かった時代には、一定程度有効な考え方でした。しかし、戦後の復興期のように衣食住に困るような世の中ではありません。
そして、多くの日常生活品において、そこまで品質に差はなくなりました。例えば、どのシャンプーを選んでも、それなりに頭を洗うことは出来ます。紙がゴワゴワになってどうしようもなかったり、嫌な酸っぱい匂いがするシャンプーって、近頃は見かけなくなりましたよね。
このような世の中では、コモディティ商品の差別化は難しい時代になりました。そのため『体験価値』とか『サービス』で差を創りだす『コト消費』の時代になりました。
ところが、『体験価値』とか『サービス』は、感情に対する価値なので、ヒト対ヒトの関係上に価値が産まれます。よい接客をしてもらったとか、顔の見えるサービスなどという表現がありますよね。
つまり、『コト消費』になると、価値を向上させるにあたって、属人性、感情の側面が強くなってきます。
これを感情労働といいます
感情労働とは、企業の顧客である消費者に対して、心理的にポジティブな働きかけをして報酬を得ていく労働です。求められる一定の感情表現があり、その表現が業務の質や成果を決めます。肉体労働や頭脳労働に並ぶ、労働の分類とされており、アメリカの社会学者であるA・R・ホックシールド氏によって提唱されました。
そして、この感情労働を安価に提供することが、『やりがい搾取』に繋がっていきます。
感情労働の職を選ぶ人は、「人のために動くことにやりがいを感じる」「困っている人の助けになりたい」という価値観を持つ人も多いようです。そのため、感情労働の現場では“やりがい搾取”と思われるようなケースも。やりがい搾取とは、やりがいを報酬がわりにして、割に合わない仕事をさせることを指します。
まとめ
このように、デフレ経済において、食品メーカーは相対的に貧しく、稼げない産業になっていきました。ただでさえ、日本の低成長の中、その僅かな成長の果実の分配さえなかった、むしろ、搾取されてきたといえます。
その背景には『良いものをより安く』という古い正義があります。
そして、モノからサービスの流れの中で、『良いものをより安く』という古い正義が、サービス業という感情労働にも適用されるようになり、やりがい搾取という、新しい社会問題を引き起こしています。
『良いものをより安く』の経営者には、市場から退場していただくタイミングが来ているのではないでしょうか。
追記:格差の拡大、貧困の拡大で、日常生活品の入手に困難を抱える人が増えてきています。しかし、そこに物価を合わせると、人件費の効率化を一層加速させ、非正規や低賃金労働の人たちがより一層困難な状況になります。大切なのは、『適正価格販売による所得の上昇』だと、私は考えます。
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