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コロナは『共感』ではなく、『個』で乗り越える

東日本大震災では、日本は『共感』『繋がり』を元に、『現地主義』のボランティア活動で困難を乗り越えてきた。


対して、今回のコロナ対策は、ソーシャルディスタンスであり、ステイホーム、仕事もWEB会議が一気に広まった。Web会議と在宅ワークでは対面と違い、表情や間合いなど非言語コミュニケーションによる『共感』の醸成が難しいと言われるようになった。


そして、東北が被害者、他地方は支援、みたいな構図ではなく、同じ町内でも、隣の家はインフラ系であまりダメージないけど、こっちの家は飲食店で商売が継続出来るかの瀬戸際、と、モザイク状に、立場の違う人間が入り組んでいる。


また、コロナの被害をどう科学的に評価するか、それに対して政府の対応をどう評価するか、各々の政治スタンスが詳らかになってしまう影響もあった。


例えば、同じサッカーチームのファンで繋がって、コロナ前はサッカーの話題で盛り上がっていた友達が、急にアベノマスクから政権批判になったりとか、政治スタンスが明らかになったり、


あるいは緊急事態宣言にどこまで従うかというスタンスで「あ、そういう立場の人だったんだ」「あ、出かけちゃうんだ」「あ、この人は学校開かせたいんだ/延長させたいんだ」とか、見えてない側面がSNSから見えて、距離を取りたくなることもあるだろう。さらに、そこにマスコミやネットの過剰な情報が輪をかけていく。


そして、『共感』を目指すと、そういうことに、心のエネルギーを割かれていくことになる。どこかで「人は人」で、シャットアウトしなければいけない。


そう、今回の困難は『共感』でなく、一人ひとりが、孤独に耐える強い『個』、自分の意見とスタンスを確立した『個』として生きていくことで、乗り越えなきゃいけないのだと思う。

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