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”変えても良い”がデフォの人、”変えてはいけない”がデフォの人

あるやり方やルール、慣例があるとして、

何も言われてなければ
「”変えて良い”とは言われてないから、前例通りにやろう」
がデフォの発想の人と

何も言われてなければ
「”前例を守れ”とは言われてないから、自分のやり方でやろう」
がデフォの発想の人

同時にチームにいると、やり方が噛み合わなくなる。

コミュニケーションは「何を言ったか」も大事だが、『何を言われていないのか』その言われていない部分にどういう解釈をすれば良いのかも、同じように大事なのだ。

上司と部下の関係になったとき、前者のタイプの上司が後者のタイプの部下を持つと、「これ以上は、特に言わなくても、前例通りにやるのが普通だろう」という期待含みでコミュニケーションする。

ところが、部下からすると「何も言われてないと言うことは自由にして良いと言うことだ」と、勝手に自分なりの変更を加えていく。

その結果、上司が予定していた結果と、部下のアウトプットが噛み合わなくなる。

逆のケース、上司としては「これ以上は、特に言わなくても。自分なりに勝手にやり方を見つけるだろう」と思って指示を出す。この際、特に前例がない様な状況だと、部下にとっては、丸投げされたような気持ちになる。上司はそれを見て「指示がないと動けないのか」というストレスが溜まる。

あるいは、前例通りでないことを期待して細かいことに触れないで指示を出したのに、前例通りのものが帰ってくると、部下の創造性の無さにガッカリすることになる。

問題なのはどちらも、「前例通りにやるのが普通でしょ」「自分なりにやって良いと思うのが普通でしょ」と、どちらも『自分の発想が普通の発想』と思っていることだ。普通だと思っているからこそ、いちいち言語化して確かめたりはしない。

よく言われる、自分の価値観を疑え、普通を疑え、とは、案外、こういうところから疑うことなのかも知れない。

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