「わかりやすく話すことをやめた」話

「頭の良い人は、難しい話を難しい言葉を使わず、わかりやすく話すことができる」
昔からよく聞く言葉で、ある面ではそのとおりだな、と思っていましたし、自分も、そういう話し方を心がけたこともあります。若い頃。
難しい言葉で相手を煙に巻くような物言いは良くないことだと思っていましたし、つい難しい単語を口走ったときに、「難しいこと言うな」と注意されたこともありました。

最近では、この心がけを辞めています。
わかりやすく話そうと噛み砕いて説明する人は偉いと思う一方、僕自身は「もういいかな」と思って、頭に思い浮かぶままに喋るように努めてしています。

なんでか。
ひとつは、難しい事柄は、そもそも難しい言葉を使わないと説明できない、というものがあるからです。
難しい言葉を使って話すために、その難しい言葉を噛み砕いて説明する、というプロセスが必要なのですが、たいていの人はその話を最後まで聞いてくれません。本題に入る前に反論されることが何度もありました。
なので、説明のための前提条件となる言葉や知識は、もう相手も知っているもの、と設定して話すようにしました。これなら、相手に理解されるかどうかは置いておき、自分の立場をとりあえず表明するところまではたどり着くことができます。
その上で、「噛み砕いて説明して」と言われたら、そこで初めて詳しい説明をするようにしました。

世の中には、前提となる知識を理解しておかないと、そもそも議論に参加できない、すなわち自分の意見を表明することができない、ということがあるのを、昨年から本を読んでいて気が付きました。
僕は工学部なので、科学系の一般的な知識は意識せずとも概ね理解できます。これが理解できずに話が噛み合わない人もいるし、逆に僕は人文系の知識がからきしだったので、「なにか聞き慣れない用語を使っているなあ」と思っていた話が実は人文系教養課程での必須科目に出てくる単語で、そちらの大学を出ている人にとってはなんてことない話だったりもするのです。

なので、なんでもかんでも「わかりやすく噛み砕いて説明してもらう」と思わずに、ちょっと背伸びした知識や本を試みてみるといいと思います。
それによって世界の解像度が高くなる、比喩的に新しい景色が見られる、ということがきっとあると思うので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?