寡黙でありたい。
そう想えるのは、、事実上、諦観の年齢に入ったからだろうか。
枯淡の境地。
でもそれって、この歳まで一切の自分から逃げずに走ってきた者にのみ、訪れる、許されるモノなのだと思う。
傲に走らない範囲で申すが、私はそれをやってのけてきた。
愛情というものだけが残ったよ。
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僕らの愛から始まり、やがては社会に大きな経済・笑顔・勇気・励ましあいの循環が起こる。その一端を担える人物でありたい。頂いた寄付は、やがて僕らみんなに還ってくるだろう社会の循環の為に使わせていただきます。ありがとうございます。