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完成は未完成の始まり((武人の域を超えよう)美術ブランド事業を手掛ける中で)

つくっては、こわし、つくってはこわし・・・
愛着が強ければ強いほど、ほころびというものは見えてくるものだ。
いわば、完成は未完成な自身の心のほころびを見つける機会、成長の機会。
どこまでたっても、ほんとうの完成はないと信じられること・・・。
人間は生涯未熟だ。
それがボクの芸術に取り組む際のスタンスだ。

僕の美術ブランド品「Pure Twilight」(現在の姿)

昨日は「Pure Twilight」に、ブランド名「Rose Garnet Collection」を
どの字体で、どういう風に崩し、どう配置するかを新たに進めていた。
殆ど辛口の母からも、出来上がったものを見て「あんたらしいね・・・」、と、息子として最上の誉め言葉を貰った

ひとまず完成したわけだ。

しかし想うに、冒頭で述べたように完成は未完成の始まり
中国古典によると完成と未完成は一対。
陰と陽ですね。

常に完成の裏に未完成は潜んでいるわけだ。

そのことを理解できるようになって、力の抜き具合も分かってきた。
クラウチングスタート、相撲の仕切り、俗にいう「不安定の安定」があればこそ、揺らいで見えてくるものがある。

易経に、「武人、大君となる」とあるが、
力猛きものは、一時はその野心と力から権勢を手に入れるが、
9割まで行ったところで、完成にはどうしても至らない。
蛮勇を奮って力み、人の協力を得られず、憔悴する未熟者だということだ。

常に自分には至らないところがあるという謙虚な心持ちで事に当たっていれば、自分の何が至らないのかが見え、完成へのヒントが観えてくるものである。

僕自身も、いよいよ完成間近でフェザーケース(化粧箱)を用意する段階でつまずいた。
どうしても前へ進まない。

気持ちが起こらないのだ。
それどころか嫌になってしまう。

徹底した反省の中で分かったこと、それは周囲への感謝が足りなかったことだ。
化粧箱をつくってくださる、業者さんの気持ちに立っていたか?
そのあたたかい気持ちに・・・。
それに気づいたとき、自分のほころびに気付いたとき、はじめて素晴らしい業者さんと巡り会えた。
つまり業者さんの素晴らしさ、有難さに気付いたということだ。
ネット注文だから機械が相手だと思ってしまっていたんですよね・・・。

心とは恐ろしいものですよ。
慢心がいつの間にか自分の胸の中、頭の中に現われています。

この度のその経験から、
あらゆる人・モノ・事象に感謝し、それらから学ぶことの大切さを痛感した俺。

僕がどうやって、一旦武人の域を乗り越えたかをお伝えさせていただきました。

「聖人などという域はまだ遠し」
でも一瞬だけ、飛龍になれた気がします。

Rose Garnet


僕らの愛から始まり、やがては社会に大きな経済・笑顔・勇気・励ましあいの循環が起こる。その一端を担える人物でありたい。頂いた寄付は、やがて僕らみんなに還ってくるだろう社会の循環の為に使わせていただきます。ありがとうございます。