Webアクセシビリティと合理的配慮
2024年(令和6年)4月1日に日本では「障害者差別解消法」という法律の改正が施行され、民間の事業者にとっては「合理的配慮」が義務化されます。義務化するのはあくまで「合理的配慮」であって、法律の条文にはどこにも「Webアクセシビリティ」とは書かれていません。
ここについての誤解が数多く出回ってしまっていて、先日「2024年4月や6月の時点では、まだ日本でWebアクセシビリティが義務化されません」という記事を書きました。
この記事について、以下のような声をもらいました
「専門用語が多くてわかりにくい」
「アクセシビリティは『合理的配慮』ではなかったの?」
「なぜアクセシビリティを推進したい人たちが急に『義務ではない』と言い出したの?」
そこで、もう少し的を絞って、「合理的配慮」「環境の整備」「Webアクセシビリティ」などの言葉の意味や関係について、説明しようと思います。
(筆者は法律に関しては素人ですので、法令の解釈については誤りが含まれる可能性があることにご留意ください)
「合理的配慮」とは
障害者差別解消法は、障害者への差別を解消し、そして障害者の権利を守ることを目的としています。障害者の権利を守るうえで非常に重要な概念とされているのが「合理的配慮」です。
障害者は、生活のうえでさまざまな困難を抱えています。さまざまな場面でさまざまな形での周囲からの配慮(サポート)がないと、障害者は社会に参加していくことが難しい場合があります。
たとえば、障害者がレストランを利用する場合を考えてみると、以下のような配慮が必要になります。
車椅子に乗った人のために、ふだん置かれている椅子を移動させて、車椅子のまま席につけるようにする
視覚障害のある人のために、メニューに書かれている内容を店員が読み上げて伝える
聴覚障害のある人のために、店員とのやり取りを筆談で行う
障害者がこういった配慮を求めた場合、レストラン側が「いつでも」「すぐに」対応できるとは限りません。ランチタイムのような、お客さんでいっぱいでスタッフが忙しい時間帯に、こういった対応が難しい場合は十分に考えられます。
そこで、「合理的に」こういった配慮を行うことが求められています。
上に挙げた例では、ランチタイムのような忙しい時間帯では配慮が難しくても、ランチタイムが落ち着いた時間帯であればできるかもしれません。あるいは、あらかじめ、いつどういう配慮をする必要のある人が来店するのかわかっていれば、店側もそれにあわせた準備を行うことができるかもしれません。
このように、合理的配慮は、配慮を必要とする側から求められたときに、配慮する側の負担が重くなりすぎない範囲で対応するということです。そのためには配慮を必要とする側と求められる側が、お互いの状況を尊重し、対話して、お互いにとって最良の状態を見出していく必要があります。
なお、合理的配慮どころか、「障害者は入店禁止」のように、障害を理由として障害者でない人とのあいだに不当な差のある取り扱いをして差別することを、障害者差別解消法は明確に禁止しています。
障害者に対する合理的配慮は、障害者差別解消法により、既に行政機関に対しては義務となっていました。民間事業者ではこれまでは努力義務とされていましたが、2024年4月1日からは義務、つまり「やらなければならないこと」となります。
「環境の整備」とは
「合理的配慮」とならんで重要な概念が「環境の整備」です。環境の整備とは、障害者にとって困難な状況が発生しないようにしたり、合理的配慮をしやすくなるよう、先回りして事前にできることをやっていきましょうというものです。
合理的配慮は、必ずしも誰もがすぐにできるものではありません。そもそも合理的配慮が義務となっているという知識がなければ、障害者からの申し出を頭ごなしに拒否してしまうかもしれません。合理的配慮に関する事前の知識を研修したり、実際に求められることがありそうな状況のシミュレーションを行っておく必要があるでしょう。
施設や設備の改善も、「環境の整備」です。段差をなくしたり、スロープを用意しておけば、車椅子の利用者が来たときに通行することができます。エレベーターのボタンに点字をつけたり、点字ブロックや音声案内板を設置すれば、視覚障害者の役に立ちます。
制度や慣習の改善もあります。書類への記入は、視覚障害者や文字を書くのが難しい障害を持つ人は誰かに代筆をしてもらう必要があります。電話でのコミュニケーションは、聴覚障害者は誰かに手話通訳してもらうような形で行う必要があります。これらをWebでできるようにすれば、誰かの手を借りず、本人が行えるようになります。
このように、「環境の整備」は、合理的配慮として障害者それぞれのケースへの個別対応をスムーズにしたり、あるいはそういった個別対応を不要にする効果が期待できます。
「障害の医学モデルと社会モデル」という考え方があります。「自力で歩行できない」「目が見えない」「耳が聞こえない」のような、個々人の状態を指して「障害」であるとするのが「医学モデル」です。一方で社会がそういった状態の人たちを受け入れることができておらず、不自由を押しつけている、つまり社会の側に「障害」があると考えるのが「社会モデル」の考え方です。
「環境の整備」がなされると、スムーズに合理的配慮が行えたり、障害者が自力でできることが増えた状態になります。これは、その人自身の状態は変化していないのに、「社会モデル」においては「障害の程度が軽くなった」「障害者ではなくなった」とみなすことができます。
このように、環境の整備にはとても大きな可能性があるのです。しかし、どの程度頑張れば「環境の整備をやりきった」と明確に言える線引きはできません。障害者の状況はひとりひとり違うため、「すべてをカバーして、社会から『障害』は無くなりました」と言える状況にはならない、見果てぬ夢なのです。
そのため障害者差別解消法では、改正以前から「環境の整備」について、行政機関に対しても民間事業者に対しても、努力義務、つまり「やったほうがいいこと」としています。
「Webアクセシビリティ」は義務なのか
ここまでは、Webに限らず、一般的な「合理的配慮」と「環境の整備」の概念について説明しました。ここからはWebアクセシビリティの話をしていきます。
Webにおけるアクセシビリティとは、WebサイトやWebサービスをどれだけ幅広い状況で使えるのか、その幅広さを指します。その「幅広い状況」とは障害者や高齢者、スマートフォンなのかPCなのか、それらをどういう使い方で使っているのかなど、様々なものを指します。今回はあくまで、障害者にとってのWebアクセシビリティについて話します。
ここで気にしているのが「Webアクセシビリティ」は「合理的配慮 = 義務」なのか、「環境の整備 = 努力義務」なのかということです。
たとえば、音楽のライブツアーの告知やチケットの申し込みが行えるWebサイトを障害者が使うことを考えると、以下のようなことが起こることが予想できます。
公演の日時や場所の情報が画像になっていて、視覚障害者がスクリーンリーダー(音声読み上げ機能)で読むことができない
チケット申し込みフォームで、マウスポインタで操作しなければいけない場所があって、手に障害があってマウスポインタの操作が難しい人が申し込みを完了できない
これらの問題への「合理的配慮」を障害者の側が申し出たとき、Webサイトの提供側ではどんなことができるでしょうか。
彼らが使えるかたちにWebサイトを改修するというのは、本来ならばあるべき姿です。しかし、それをやるためには数週間、下手したら数ヶ月の時間がかかってしまうかもしれません。
「どの公演に申し込むか悩んでいる」「早く申し込まないとチケットが売り切れてしまうかもしれない」という時に、「いまからWebサイトを改修するので待っていてください」なんて言うのは、現実的ではないでしょう。そこに間に合うようにディレクターやデザイナーやエンジニアが徹夜でがんばるというのもあるかもしれませんが……、サービス提供側の負担が大きすぎて「合理的」とは言えないでしょう。
おそらく、このケースでは、Webのかわりに電話やメールを使って、公演の情報を伝えたりチケットの申し込みをできるようにするのが現実的なはずです。
このように、WebサイトやWebサービスでは、「合理的配慮」が必要となったときは、Web以外の手段を使ってそれを行うことを考えたほうがいい場合が多々考えられます。
Webアクセシビリティの向上は、「環境の整備」の側面がとても強くあります。「ここが使えないので直してほしい」の声に応えて対応するのは「合理的配慮」でもありますが、やはりそれより、「困難が生じないようにしたり、その困難の程度を低くするために、事前になんとかする」のがWebアクセシビリティの取り組みです。
また、これはWebアクセシビリティの取り組みを実際にやっているとわかるのですが、「あらゆる人が誰でも絶対に使える」状態にするのは不可能です。どんなに頑張っても、それでもなお利用が困難な状況というものは絶対に発生します。
「Webアクセシビリティ義務化」と誤解されてしまうことの問題
さて、冒頭で述べたとおり、障害者差別解消法の改正により義務となるのは「合理的配慮」であって「Webアクセシビリティ」ではありません。そしてここまでの説明のとおり、「Webアクセシビリティ」は「環境の整備」の側面の強いものであって、つまり改正前も改正後も努力義務ということになります。
これが「Webアクセシビリティが義務化!」として理解されていくことには、大きな懸念があります。
Webアクセシビリティは、短期的に『完璧にする』ことが不可能です。どんなに頑張っても、それでもなお「誰でも使える」は実現しません。
それなのに、「2024年に義務化!いますぐ対応をしなければなりません!」と言って回っている人たちは、いったいどんな「対応」をしているのでしょうか……?
Web制作・開発企業の案件獲得に「今年4月から義務になります!」という脅しのようなメッセージが使われているかもしれません。騙す・嘘をつくつもりがなくても、そういった情報が出回っているせいで、それを真に受けてしまっている場合もあるかもしれません。
それで急遽の案件ということで相場より高い価格の契約となっていたり、同じ価格でも契約が取りやすくなったりしてしまうのは、正しい認識のもとWebアクセシビリティに真面目に取り組んでいる企業が不利になってしまうことにつながり、不健全です。
中には、「これを導入するだけでOK!」という触れ込みで、何かの製品を売り込まれたり、導入が検討されたりするかもしれません。しかし、「アクセシビリティオーバーレイ」と呼ばれるそういった製品が、実際にはほとんど効果がないどころか、かえって障害者の使用を妨げているものすらあるという指摘も存在します。
さらに、こうして急いで「対応」を行って義務を果たしたつもりになり、いざ実際の障害者から合理的配慮を求める申し出があっても拒絶してしまう……なんてことがあっては本末転倒です。
ということで、普段なら「Webアクセシビリティをみんなやるべき!」と主張しているわたしが、いまは「Webアクセシビリティはまだ義務化されないよ!」と言っているのです。
もしWebアクセシビリティが法的に義務付けられることがあるとすれば、「ここまでやるのが義務です」という線引きが必要です。WebアクセシビリティにはWCAG (Web Content Accessibility Guidelines) というガイドラインがあって、同じ内容がJIS規格(JIS X 8341-3:2016)となっています(ただし、WCAGの現在のバージョンは2.2なのに対し、JIS規格は2.0の内容となっています)。
このガイドラインにはA, AA, AAAという3つのレベルが設定され、Aの数が多いほど高度で達成が難しい項目が並びます。組織や事業の公共性を鑑みつつ、レベルAAやレベルAに準拠させるようなかたちであれば、法的な義務付けは可能でしょう。実際にそういうかたちで法的な義務付けをしている国も存在しますし、日本でも近い将来そういう制度が実現するかもしれません。
ここまでお付き合いいただいた方であれば、Webアクセシビリティが「取り組むべきもの」であり、「努力義務」である「環境の整備」にあたるものであることはおわかりいただけたのではと思います。具体的に、なにをどう取り組んでいくべきなのかという話は共著で出版した「Webアプリケーションアクセシビリティ」という本に書かれているので、ぜひ参考にしていただければと思います。
参考文献
障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)
内閣府リーフレット「「合理的配慮」を知っていますか?」
内閣府リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」
デジタル庁「ウェブアクセシビリティ導入ガイドブック」
伊原力也,小林大輔,桝田草一,山本伶「Webアプリケーションアクセシビリティ――今日から始める現場からの改善」技術評論社