なんでも言葉にしたい日々

スマホの日記も紙の日記もたくさん書いている。言葉にしてなきゃやってられね〜感が強い。noteも活躍。ふと我に返ってこんなことして何の意味が…?になるのにもすっかり慣れ。

日々がこんなんでいいのか怖くなるって言ったら、怖くなるのは今を頑張って生きてるからだよみたいな(私にいいように意訳した)ことを言われて、頑張ってないけど嬉しかった。世の中には「自分は何もできてない」とか「このままで大丈夫なんだろうか」とか、そういう日々に対した焦燥、めいたものをハナから感じない層もいるらしい。知らなかった。確かにそんな実体もなくて漠然と不安にさせてくるものなんてないに越したことはない。

本当に世界を私の尺度でしか見られないことがときどきさみしくなる。し、得た学びを早速生かすとするならば、こんなのも元々感じない勢があちらこちらで生きているのだろうな。当たり前だな。



マッチングアプリをまたやめて、また始めた。やっぱり誰ともマッチする気にすらなれず。最近気づいてしまったのだけど、生活変えないでよ!みたいな自分がすごく強く根深く居座っていて、恋人なんかいなくても楽しく過ごせてるじゃん?ね?そんなんして見つけなくても大丈夫だって!的な、今の現状から決して進ませまい〜〜とする自分が激強。なんなんだ。私は恋愛に関わらず、現状維持よりもっともっと進んで行きたいのに、そんなの嘘だねって手を引いてくるんだ〜。疲(ひ)、です。

すごく大事な人にも「今自分の頭の中でいろんなことが絡まってしまっていてさ、」みたいな話をなかなか切り出すことができない人をやっている。しんどいけどまあそんなときもあるっしょ!みたいな自分で笑えていることが美しいみたいなのから離れられなくて。あと単純に、頭で整理できてないことをぽつぽつ口に出す、が、苦手すぎるんだ。

だからnoteを書くし、日記だってたくさん書いている。こういう吐露の場所が本当は、触れられる距離にあって欲しいって意味強めで恋人を求めてるんだろうな。たまったもんじゃないですね、お相手は(いないけど)。


本当に最近、自分の日記に嘘をついたり綺麗にしたりせず書けるようになった。やっとだ。いつか誰かの目に触れてしまったらと思ってほんとのほんとより、もう少し上澄みに近い部分を選んで書いていた。不器用すぎ。
変われてないわけなんかないよ、って自分に言ってあげる。変わらなくても変わってもいいよとやさしい歌詞は歌ってくれるけど、自分は散々変わらないでと手を引いているからね。変わっていいんだよ。進んでいっても大丈夫すぎるよ。自給自足note。また、何の意味があるんだろうと、ご愛嬌の自分が顔を出した。慣れ!

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