2023.10.26(縛り)

『察しろ』の文化圏で育ったせいか、自覚なくそれを相手に求めて食い違うことがある。「そこまで言わなくてもわかるよね?」「私が望んでいることはここまで言ったらわかるよね?」と求められることにうんざりし、そういった環境を離れたにもかかわらず、だ。そうやって自分が嫌悪していたことを無自覚でしていることに気づかず、相手が「?」となっているのを見て、「やってしまった」と思い知らされる。たいていそのときは、自分自身ですら相手に何を求めているかを具体的に把握できておらず、「何となく私にとって良い感じにやってくれ」といったとても曖昧な状態で相手に投げていることが多い。そんなとき、「いや、そんなのわかるわけないだろ」「そこまでこっちに求めるなよ」と昔の私が苛ついている。ごもっとも。そのため、そこでもう一度立ち止まって自分が何を求めているかを考えるようにしている。そうしてようやく自分はこうして欲しかったんだというのを自覚する。同じように、相手に『察しろ』を求める人はもしかすると、相手に「何か良い感じにしてくれ」と丸投げし、自分自身ですら何を求めているのかをきちんと把握できていない場合があるのかもしれない。いきなりキレるおじいちゃんとか?(偏見)。「何か良い感じにしてくれ」と周りに丸投げし、周りがその状態をつくらなかったときにストレスを感じているのかも。もっと具体的に自分は何を求めているかを把握して伝えなきゃね。だからなるべく私も、相手が「?」となっていることに気づいたときは、「私はこういうことをして欲しいと思っていた」と後付けでも伝えるようにしている。そして今日、一つやってしまい後付けでフォローをしたところ。育った環境の縛りの強さよ。

もう一つ、この後に書いていたが、今日は削除しておこう。書いているうちに横道に逸れてしまい、自分の子どもの頃の話になってしまった。何でだろう、その辺りのことを書くと未だに文章が暗くなる。

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