やこ

小田舎の学校で絵を描いています。

やこ

小田舎の学校で絵を描いています。

最近の記事

肩に乗る舟の漕ぎ方

自己紹介をするのが嫌いだ。名前と絵が書けることしかいうことがないから。 自分のことを言っているのに、言えばいうほど自信をなくしてしまう。私は、特に何かになりたいと思うことはあまりない。私が私であるという曇りなき事実を、捨て去りたい。 いなくなりたいわけじゃない。ただ、一人の私で居たくない。自分の複製を作りたいと常々考える。 もしかしたら私のそれを「エーテル」と呼ぶのかもしれない。 未分化なシナプスに名前をつけるとしたら、これが最適である。外的要因によって容姿を変え、色を変え、

    • そういえば。

      今日お日様に会った。 急いで掃除機をかけるお母さんみたいだった。 今日影に会った。 むすっとした顔の飼い猫に似ていた。 今日梅に会った。 冷たくて、強かなあの子のようだった。 今日はお月様に会った。 まん丸で美味しそうな林檎を思い出した。 あとは うーん えーっと 私は、今日、私に会った。 それは誰でもない、たくさんの情報の集積でした。

      • you&ユー?

        夏、私にはなにもないです。 強いてゆうなら夏講座とか笑 先生は言います。自分で望んでいるんでしょうと。 それは違います。私は絵が描きたいから、それを今後も学びとしたいから、その為にはまず学科の勉強をしろって、あなたが言うから。 やってるんですよ。 それなのに、私は絵が描けません。 何故いつも先生に許可を貰えたものしか描かせてもらえないの? 何故、展覧会に、出さなければいけないの? 何故。 表現は何でもできると貴方が言ったんです。 だから、描いただけなのに。 私だって、

        • 鬱くしい国

          私はレースカーテンやレースフリルなどから透かして見える光や影が好きだった。 絵も同様でリヒターのフォト・シリーズなど、何か膜で張られたようなものを特に好んでいる。 自身の制作を振り返れば高一のときに描いた絵はモノクロで人物で描いたあと、その上から薄めたピンク掛けるという作品だったし、私の描く絵は全部色の印象がハーフトーンばかりでパッとしない。 そう言えば母に「あんたは世の中を紙一枚透かしてみてる。」と言われたし、ネット掲示板の人には「多分世の中に諦めきってる。」とも言われた

        肩に乗る舟の漕ぎ方

          故郷は惜しいけれど私は旅に出たいです。 あなたも私も誰かの空想でありますように。

          故郷は惜しいけれど私は旅に出たいです。 あなたも私も誰かの空想でありますように。

          八番街にて

          書きたいことも、言いたいことも特にない。 今週も締め切りとか、やらなければいけないことに気を取られて終わってしまった。私は魂を抜かれたパペットのようにPCやらカンバスと睨めっこをしていたと思う。 作品を作るにしろ勉強するにしろ、目の前には必ず現実というものが現れる。私は嫌でも毎日観ているはずなのだ。しかし、私は何も観ていなかった。というよりも観ないふりをしていたと言った方が正しいだろう。頭の中と眼の中で、違う景色が繰り返されていた。 私は空想、妄想の中で生きている。そんな感覚

          八番街にて

          浮ついたりして

          3年ぶりに彼のライブに行きました。 また中学時代の旧友と再会したのでした。 今回は色々な再会がありました。 彼の音楽と彼自身と、そして旧友との。 私と旧友は彼の音楽によって巡り合わされたものなのでその二人に同時に会えたのは幸せでした堪らなかったです。 公演の構成は前回行った時よりもより、物語性が高く、一個の演劇を見ている気分になりました。 ですが、それを凌駕するくらい、彼の存在感は凄かったのです。 曲はもちろん歌声も素敵で素晴らしいものですが、米津玄師という人がありのまま

          浮ついたりして

          嚥む

          あるところに涙の水溜りがありました。 それは渇くことを知りませんでした。 でも私はそれが邪魔だったので 精一杯飲み干そうとしました。 あつく冷たくほろ苦くて、でもとっても甘かったり酸っぱかったり。 私は無我夢中になりました。 そしたらようやく空っぽになりました。 するとからだが渦巻きはじめ 意識すらも攪拌されるのです。

          I was

          私は萎れた風船です。 だから誰も、私のことを詰ったりしません。 私は背の低い風船です。 だからみんな、私のことを優しくしてくれます。 私は肥えた風船です。 だから誰もが、私のことをいじめます。 私は背の高い風です。 だからみんな、私のことを見てくれません。 この世は自意識に、 もしくは厭世的に 膨らみ続けている。 罠であるとも気付かずに。 そうして私は産声を上げました。 ぱちんっという音に戸惑いながら、 私は生まれたのです。

          私がゴッホの生まれ変わりなら、ゴーギャンの生まれ変わりと結婚したい。 私が60年代の学徒ならば、ゲバ棒を持って夢を語りたい。 私がもう少し器用なら、あなたにパッチワークを施してあげたい。 さて、今日はどんな私になりきろうか。

          私がゴッホの生まれ変わりなら、ゴーギャンの生まれ変わりと結婚したい。 私が60年代の学徒ならば、ゲバ棒を持って夢を語りたい。 私がもう少し器用なら、あなたにパッチワークを施してあげたい。 さて、今日はどんな私になりきろうか。

          新し日々を迎えるために朝ごはんを食べよう。 パンにはたっぷりのバターをぬって、ついでに音楽もつけ合わせてしまおう。 そうすればきっと太陽に祝福された朝を迎えられる。

          新し日々を迎えるために朝ごはんを食べよう。 パンにはたっぷりのバターをぬって、ついでに音楽もつけ合わせてしまおう。 そうすればきっと太陽に祝福された朝を迎えられる。

          おくすりのんでねたい

          本当に書くことなんてないですがここを掃き溜め(言い方)として使っていきたいのでたまにはほぼ何も考えずにつらつら脳内でも垂れ流そうと思います。 毎日頭おかし人達と関わって刺激を受けすぎてるせいかつくづく自分で自分のことを全く理解できていないなと感じる。自分に対する興味よりも他人に対する興味の方が強いのかもしれない。あーきくおさん好きだ…。ごめんねごめんねのイメージが強かったけど、いざ聞いてみるとめっちゃ良くて急に自分の中で芸術性を大いに孕んで表に出てきた。なんだこの感覚は!?

          おくすりのんでねたい

          青紫の糸を編み込めば僕が生まれる。 そしたらいつのまにか深く温かさが気持ちの悪いところに横たわっていた。そうして僕は月を眺めることにした。

          青紫の糸を編み込めば僕が生まれる。 そしたらいつのまにか深く温かさが気持ちの悪いところに横たわっていた。そうして僕は月を眺めることにした。

          死ぬまでにゴスロリのお洋服を身に纏って、堂々と闊歩したい。

          やまもとです。今日はお洋服にまつわるお話をしたいと思います。 私は、お洋服は目立たなくて周りからうかない極めて普通。誰が見ても普通だなあと思うようなとおわれるように地味な格好しかしたくないし、兎にも角にも浮きたくない一心でお洋服を選んでいました。だから、色も黒白紺グレーという地味地味カラーしか着れませんでした。というか着たくなかったです、派手な色なんて死んでも着たくい様なにんげんでした。ここ最近までは。 すきなものを着ること突然ですが、皆さんは下妻物語という小説をご存知で

          死ぬまでにゴスロリのお洋服を身に纏って、堂々と闊歩したい。