1/27 - 似せること、似ること

某ゲームの楽曲に盗作疑惑があり、騒動になっているという記事を見た。盗作やパクリは作品への最大限の侮辱であり到底許されないことだと思っているが、全く意図せず似てしまったというケースも確かに存在する。そしてそれはほとんど悪魔の証明のような状態になってしまい、まだ黒かどうかも確定していないうちに音楽家が糾弾されているところを見ると居た堪れない気持ちになるのだ。人の創作を盗む人のことは許せないが、似ているのがわかった時点ですぐパクリだと批判する人のことも穏やかな気持ちで見ることができない。僕にどうにかできる話ではないのでここで終わり。わざわざこんなことを書こうと思ったのは、僕にも似たような経験がないわけではないからだ。

高校2年生くらいの頃。当時はVOCALOIDを用いて作曲をしており、ある曲をニコニコ動画に投稿したときの話になる。動画に流れるコメントやフォロワーからのリプライを眺めていると、身に覚えもなく僕のフォロー数が1だけ減っていることに気づいた。当時の僕は何人にフォローされて何人に外されてというようなことをかなり気にしていたので対応が早かったが、あのときあそこで気づけていなかったら…とは今でも思う。そういうツールを使って調べたところ、特に仲が悪いわけでもなかったひとりのボカロPからブロックされており、僕の曲に対する怒りの相を呈しているのを見た。心当たりもないため、別のアカウントからDMを送ると「パクられているように感じた」という返信。

どうにか弁明をしたが、彼の動画と同じイラストレーターの作品を起用していたのが決定打だったらしい。彼がつくる音楽はとても好きだったし、彼の動画を見てそのイラストレーターに連絡をしたのは間違いない事実だったが、その曲は僕が彼と知り合う前から制作をしており、ツイッターで出会い彼の曲を聴いてからの路線変更も一切なかった。なんとか必死に文章を考えて謝ったが、最後にもらった返信は「もうやめてください」。その通知を受け取ったときに潜っていた布団の匂いとか、吹き出してきた気持ち悪い汗とか、一度落ち着くためスマホを放り投げた後に湧いてきた「そういえば学校サボったから課題出せなかったなあ」という変に冷静な思考とか、今でも鮮明に覚えている。ただどんな理由があっても、僕に悪意があったにしてもなかったにしても、彼が傷ついたという事実は変わらない。自分の創作が人を不快にすることがあるとは思わず、それがただひたすら悲しかった。

それから時間は経ったが、周りのみんながよくいう他の音楽をリファレンスに音楽をつくるというのが僕にはできない。それは恐怖に似た感覚でさえある。現にデモの制作期間は他の音楽を極力聴かないよう意識しているし、似てしまう可能性がわずかでもあるような、ジャンルの近い音楽は一切耳に入れない。それでも、そのうえでまた似てしまったらどうしようという不安はまだある。僕にしか作れない音楽を作ってやるぞ、というよく言われがちなことを恥ずかしげもなく常に考えているが、僕に関してはあまり前向きな理由ではない。

彼が今どこでなにをしているかは分からない。音楽性が近い人同士として仲良くできる未来があったかもしれないという後悔の念は今でも残っているが、どうかこのことはとっくに忘れるかムカつく体験談にでもして、素敵な音楽をつくり続けていてほしいと願っている。

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