5/26 - 近況(文字が多いぞ)

・『冗談』という新曲を公開した。

3ヶ月連続でシングルをリリースする、というのを帰りの会は先月からやっている。が、僕はほかの曲と関連性のない、独立した1曲だけを書くというのがどうにも苦手らしく、実施が決まった当初からいまひとつやる気が湧かなかった。どんな曲を書こうか考えに考えた結果、「よくこういうの聴くけど僕らは今後絶対にやらないであろうことを今のうちにやってやろう」ということで2秒くらいで考えたコード進行を⌘+Dでループさせ、これまた10分少々で考えたメロディと構成に勢いだけで歌詞を書き上げ、最後の最後でジョンメイヤーみたいなギターソロを無理やりねじ込んでみたらこうなった。制作に対する向き合い方が向き合い方だけに終始不安があったが、改めて聴くとそんなに悪くないかもしれない。音は控えめのボリュームに最適化したつもり。夜中に布団の中とかで聴くといいんじゃないでしょうか。
生活感満載のMVも作った。高校3年間部活でやっていただけに映像をさわるのはやっぱり楽しくて、視覚方面の表現のことももっとわかるようになっていきたい。ひとりで完パケした今回に限らずこれまでのMVの脚本はだいたい僕が書いてるのになんか絶対にクレジットしてくれないので、ここらで抗議デモを三日三晩ほど執り行おうかとも考えている。権力の圧には屈しません。
4月にシングルを出したときに特にnoteを更新しなかったのは、あの曲単体について話すことは今はまだ何もないから。逆にいうと、いつかある。あと普通に忘れてたから。

・音の勉強をがんばっている。現在帰りの会のミックスは僕がやっていて、そうちゃんに任せている録音やマスタリングを進めてもらううえでも僕がまだよく分かりもしていない部分にさえ口うるさく首を突っ込んでいる。やっぱり難しいもんで、ありがたいことにわりと好評をいただいている1stEPとかはもうなるだけ聴きたくないし今回のシングル2曲もまだまだ拙いが、ミックスのやり方らしいやり方がようやくわかってきた。そろそろチュートリアルくらいは終わらせられそうな気がしている。
その道の人に任せたほうが良くなるなんてのはもちろん承知のうえだ。ただ僕は自分の作品のいちばん出口の部分まで責任を持ちたいし、あと人に任せたとしてリテイクのやりとりの煩わしさとか、頭の中で鳴っている欲しい音を100パーセント説明できるわけなんてないので、じゃあ自分でその音出せるようになったほうがいいじゃん、というのが理由。
ゆくゆくは録りからマスタリングまで僕だけでできるようになりたいなあという野望もあるがそれはたぶんまだ先のことだし、そうちゃん先生の音が好きだからいつまでたっても頼む理由はある。とにかく、修行あるのみ。

・曲をたくさん書いている。ずっと前からつくりたいものがあって、それらを形にするのをバンドのみんなに手伝ってもらう準備を少しずつ進めている。現時点での感覚としては、すごく自分中心な作品だなあ、という印象。
思い返すと帰りの会として最初の作品である『19歳』以来、僕はいまの自分の気持ちとか想いがどうとか、「僕はこう思ってますよ」とかそういうたぐいの、わざとすごく悪意的に言えばNHKみたいな曲がもう長いこと書けないでいる。怒らないでくださいね。ちゃんと受信料払ってるので。まあそもそもそんなに好きじゃないから別にいいんだけど。しかし、共感性(好きじゃない言葉だ)を欠いた音楽が売れにくいのはまあ想像に難くないと思う。当たり前だが、自分たちの作品が多くの人に聴いてもらえるのはうれしい。これだけでご飯を食べるぞ〜とまではいかずとも、いろんな人にいっぱい聴いてもらうぞ〜〜〜的な気概は常に一定量持ちつつやってきた。
ただここ最近、音楽の音楽的じゃないところについて考える機会がいつにも増して多くあった。売れるとか売れないとか売り方がどうとか、権利や契約が云々とか。といっても、バンドのみんなやその他声をかけてくださった外部の方々も交えていつもよりちょっとだけ真面目な話(帰りの会メンバー内での普段の会話の内容はほとんどの場合1時間あたり10文字くらいで要約できる)をしたあと、その日の夜にひとり布団の中であれこれ思案しながら睡眠導入剤としていたのがほとんどなのだが。
そしてあるタイミングで突然、そういったことすべてについて頭を回すのがぱったりと嫌になってしまった。なんだったら楽しいとさえ思ってもいた広告やSNSの運用のこと、お金のこと、自分たちと傾向が似ていたり同じくらいの位置にいるほかのアーティストのこと、どんな曲を書けばたくさん聴いてもらえるかみたいなこと。それら全部についてのことが、今の僕には数学IIの教科書にびっしり書いてあったアレルギー発作を引き起こすような内容と同じ顔をして見えている。もちろん、周りの方々が僕らの力だけじゃ届かないお話を持ってきてくれるのは嬉しいことだし、それに対して苦い顔をしているわけではない。念のため。『水色の街について』をリリースし、配信サービスから収益をはじめて受け取ったときからうっすらとあった気持ちだが、最近このことに対する気持ちの浮き沈みが輪をかけて多い。4人がくれる反応が楽しみで、バウンスが完了してファイルの場所がfinderに表示されるや否やダイレクトボレーのようにそのままギガファイル便にドラッグ&ドロップしている新曲のデモでさえ、ついこの間はなんだか気が進まず数日も寝かせてしまった。思えば1円にもならなくたって、自分と少ない友達だけ聴いてくれるだけで音楽は心の底から楽しかったじゃないか。今いる場所から僕が音楽を始めたときのことを振り返ると誇らしく思う反面、ひどく疎ましくもある。
僕が音楽をやるうえでの目標は、ただ音楽を続けること。たとえば生活を豊かにしたいだとか、人気者になりたいだなんてのはただの一度だって考えたこともないし、きっとこれからもない。そうなってしまったらやめどきだな、と思っている。ここで出せばいっぱい聴いてくれるから…みたいな寝ぼけた理由で僕以外のメンバーが帰りの会に曲を持ってきた日には、どんなことを言ってしまうかわからない。そんな話はいいんだ。ただ、それと同時にもうひとつ、いつか創作以外のことをあまり考えなくてもいいようになりたい、という気持ちもたしかにある。音楽だけでご飯を食べたい、だなんて考えていないというのはどうやら嘘かもしれない。
僕はいま仕事をしている。が、ちょうど丸一年働いたことになる職場を要するに「飽きたから」という理由で先月やめて転職するほど、仕事に対する興味というか、こだわりというか、熱意がない。生活のために必要だから、と言われたらそれまでだが、好きでもなんでもないことに週5日、1日の3分の1近くを費やしていると思うとぞっとする。僕は自分がなにかをつくったり、好きなことに触れたりしていないとき、つまりそれは生きていないのと差しあたって違いがないと思っている。ギターの動画をインターネットに投稿していた高校生のころから、1に任意の数字を足すことができても0から1を作ることができないことへのコンプレックスが強くあったのがきっと創作との付き合い方がよくない方向に拗れた原因で、「弾いてみた」で得られる人気(だなんて言えたほどのものではないが)は最初のうちは純粋に嬉しかったものの時間がたつにつれて人の褌で相撲をとっていたら意外といつの間にか大関くらいまでいけてしまっていた現状に嫌気がさしていた。ギターの動画を投稿し始めた理由は仲間がほしかったから。なにもしていない期間が長ければ人が離れていってしまうので投稿のペースは保つし、せっかくできた友達をなくしたくないからフォロワー数の変化は常に気にしていた。そんな立ち回りを必死にしていたのがいかにも人気者みたいで嫌だった。ので、たしか1年とちょっとくらい前にやめた。気持ち悪いのでかしこまった引退宣言とか「みなさんにお知らせがあります。」みたいなのも特にしていない。が、そこまで思い詰めるものでも今思えばなかったかもしれないなあ、という気持ちもあり、気が向いたタイミングでなにか投稿してみるのも悪くないんじゃないかな、とちょっとだけ思っている。まあ、期待しないでいてくれたほうがお得だと思う。話を戻します。
ようするに僕は、1日24時間のうちもっとも多い割合を占めているのが自分のまったく興味がないこと、という現状が嫌で仕方がない。そこをそっくり創作に置き換えたい、とは言わない。ただ、生活において創作に関われる時間がそれと睡眠の「合間」であるというのが気に入らない。そういった意味では、僕は収入の大部分を音楽に任せられるようになりたいという気持ちがどこかであるのかもしれない。しかしそのためには自分の音楽を積極的にお金に変えていかなければならず、僕が掲げるスタンスと絵に描いたような矛盾が生じてしまう。とんだ獲らぬ狸の皮ではあるが、この先僕たちの音楽が届く範囲がどんどん大きくなって今よりももっと大きな額のお金が入ってくるようになり、これもうちょっとしたらこれだけで生活できますよね、くらいのところまで来たとき。はたして僕は今と同じようなこと、創作第一!お金なんていりません!みたいなことを今と同じ顔で言えるのか、正直なところ自信がない。ここでまただめになってしまう気がする。
が、そんなこと今は考えたって仕方ないのもわかる。そうやってボコボコにされるところまでいける保証だって第一ないのだから。とりあえず今は周りじゃなくて自分の好きなものと作りたいものだけを見て、それを好きなように(もちろんみんなが付き合ってくれるかぎり)作って、作り終わったらまた作りたいものを考えて、を繰り返しながら、自然と周りに人が増えてきていろいろ考えないとダメな限界のラインになったら考えればいい。という結論に今はようやくたどり着くことができている。そうは言ってもたぶん誰かが指摘してくれたりとうとう怒り出したり裏垢に愚痴を書き始めたりするまで僕はなにも考えないだろうけど、同じ温度(と、僕は信じている)で作品とその周りのことに向き合ってくれる仲間がいるバンドという形態でよかったなあとつくづく思う。もう今後は話が脱線してるとか言われても知らない。グルグルバット200回くらいやったときと同じ平衡感覚で文字書いてると思っててほしい。
ぐちゃぐちゃ書いたけど今はそんなにいろいろ悲観的じゃなくて、こうやって活字にしたらだいぶ穏やかになってきたように感じている。自分を満足させるためだけの、決してネガティブではない意味でとにかく自分本位な創作、そういう心持ちで次の制作を進めている。見てくれには気をつかっていない。見てくれなくたっていいから。受け取らなくてもいいので、うまく受け止めてほしい。いつごろリリースできるかなあ。

・ひどく暑い。創作をする人たちは何かにつけて夏というものを掛け値なしに美しいものであるかのように囃し立てるし、なんなら僕もその一端を担っている自覚さえあるのですが、別に体調崩すから嫌です。つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?