言葉にならない春に思いを馳せて
「春の美しさに隠れてしまう前に。」
人と比べて嫌なことをたくさん考えすぎてしまうこと、
周りのことを気にしすぎて臆病になってしまうこと、
それ故に本当の気持ちがうまく言葉にできないことに
生きづらさを感じていました。
そんな憂いをひっくり返しながら絵を描くのが
作家としてのわたしのやり方でした。
明るい楽しい作品が印象的だねってよく言われますが、
そこにある気持ちは作り物です。
えーそれうそつきじゃん。確かにその通りだと思います。
それでも今後もこのやり方を続けていくつもりです。
なぜならその作り物である明るくて楽しい気持ちを
いつかちゃんと自分のものにすること
それがわたしにとっての夢と希望に値するからです。
だから春が本格的に訪れて世界がありったけの
夢と希望で満ち溢れる前に、
わたしの小さすぎて不器用すぎる夢と希望を見失わないよう
この「アンサングスプリング(=言葉にならない春)」の名の下に
掲げようと思います。
そんなわけで!
本日はお越しくださって誠にありがとうございます。
わたしの気持ちを多くの人に理解してほしいとは思っていないけど
この展示会が誰かの背中を押す春風のような存在になればいいなと思っています。
キャプションを反転させ、鏡に映し出すという演出を試みた。
以前ツイッターで挙げていた「春の馬鹿には見えない魔法」とはこの演出を指していたのだが、想像以上にたくさんの方々がその仕掛けに気づいて下さった。
わたしは日々感じている生きづらさをひっくり返して楽しい世界観を作っていた。
「ゆめぞうさんはいつも明るい絵を描いていて楽しそうですね」って言われると「え?そうかな?」ってなる。
観る人が安易に想像出来るほど楽しい気持ちが実は作品の奥に存在していない。
そのことに対する後ろめたさとか
楽しい気持ちからかけ離れていることに対する孤独感とかが常に伴っている。
わたしの創作活動ってそんな感じだ。
楽しいから作品を描き続けるんじゃなくて、
楽しい気持ちが欲しいから作品を描き続ける。
そうしないとやってられなかった。
でも楽しい作品を通じてわたしが伝えたいことはそういうのじゃなかったし、寧ろそういうのは隠さないと作品の邪魔になるんじゃないかと思っていた。
わたしの作品を観て楽しいって思ってくれるならそれでいいじゃん。
楽しい世界観を描いているんだからそう思われるのは喜ばしいことだし、何も間違っていないよ。
間違っていないはずなのにな。
なんでこんなにもやもやするんだろ。
そんな気持ちを抱えながら作家活動を続けていくなかで、個展をやると決まったのが2021年8月。
明るい楽しい作品を並べたキラキラした場所をつくりたいという想いと、ちゃんと本当のわたしのことを観る人に知ってもらおうという想いが両方あった。
このままでいいのだろうか。
すぐに変われるほど器用な人間じゃないから
本当の気持ちを誰かに知ってもらいたい。
それは本当にひと握りの数だけだいい。
個展の期間は冬の終わり、春の始まり頃に設けた。
人生の大きな一歩を踏み出す人が多い春という季節、世界に溢れる「夢」や「希望」と並べられるほど
わたしの願いは美しいものとして語られることはないだろうけど、誰かのちょっとした勇気に変わればいいな。
「アンサングスプリング」という言葉にはそんな想いも込めていた。
こういう本音を自分の作品を並べた場所で晒け出すことは、わたしにとって大きな決断だった。
分かる人にだけ分かって貰えればいいような内容だから、普通に読もうとしたら読めないっていう仕掛けを作れば、全員が読めることは無いんじゃない?
そうして「春の馬鹿には見えない魔法」を作り出した。
「ちゃんと読めるの5人に1人ぐらいじゃない?いやもっといないかも。」
なんて思っていたが、びっくりするほどたくさんの方々にその魔法は解読されてしまったのだ。
実は春の馬鹿ってわたしのことなんだろうか。
「この発想にはやられました、、」とびっくりしていた方、
「すごくすてきでした!」と喜んで下さった方もいて、
中には泣いている方もいた。
わたしの本音が人の心に届く瞬間を目の当たりにした感覚だった。
準備はしんどいことがめちゃくちゃ多くて、
あまりのしんどさに体が動かなくなることもあった。
仕事が周りの人と比べて要領よく出来ないことに対する不甲斐なさとか
芸術は不要不急だっていう社会風潮とか
何でも感じすぎちゃうが故にそういうのをずるずる引きずって
一時期は毎日泣きながら絵を描いていた。
もう辞めたいって思う瞬間が何度もあった。
その頃の自分がめちゃくちゃ報われた気がした。
大丈夫。ちゃんと届いたよ。
わたしは誰かの背中を押す春風のような存在に、近づいたんだよ。
勇気を出して大きな一歩を踏み出した冬の終わり、そして春の始まりだった。
その証拠として「アンサングスプリング」の名の下にキラキラした作品をたくさん掲げられたこと、我ながら誇りに思う。
うそでごめんね、なんて後ろめたい気持ちに終止符を打つことが出来た気がしている。
まだまだしんどいことはたくさん待ち受けているんだろうけど、楽しい明るい世界観は今後も創り続けていきたい。
「痛みを糧にできる作家でありたい。」
今の理想像はその言葉に尽きる。
でも頑張りすぎたら心がぽっきり折れてしまいそうな気がしてならないから
気ままに行こうじゃない、そんな気持ちも大切にしていきたい。
言葉にならない春と題して創り上げた世界は
観に来て下さった方々のおかげで
言葉以上に美しいものになったと思っている。
感無量です、本当にありがとうございました。
また逢う日まで、どうかお元気で :)
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