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愛に縋って、スキマを彩って


2022年5月14日〜6月15日
shop&gallery SOMETHING企画展
「ココロのスキマに彩りを2」という展示に参加させて頂きました。
観に来てくださった方、
関わってくださった方本当にありがとうございました:)


2年の時を経て同じテーマの下で作品を出せるのはきっと何かのご縁だろうし、本当にありがたいと思った。

それと同時に、他の素晴らしい作家様方と肩を並べてひとつの展示会を創り上げる以上、自分勝手なやり方で蔑ろにするわけにはいかない。呼んでいただいたからにはしっかりテーマに添えるものを出したいと思った。

だから今回は今まで通り好き勝手やらせてもらいますっていうスタンスから少し外れた。
とは言え、描きたいものを描かないとモチベが上がらないのも事実だからそこは維持したままで、今回のテーマにしっかり寄り添っていこうねって決めた。

そうして考える。
彩りってなんだろう?
そもそもココロのスキマって何?


なんか上手に説明できないけど、
暗い気持ちがちょっと明るくなる、みたいなやつでしょ。
さながら友達としょうもないことでゲラゲラ笑い合う休日みたいな。あれっどうして悩んでたんだっけ、ってなるあの感覚みたいなもんでしょ。
うん、説明が下手!
その、なんとなくの考えからとりあえず描いてみたのがこちらのぱくちゃんランドの作品。

ともだち

「それはずっとそばにいようねってことじゃないよ。
おいしいものをたべて
一緒にゲラゲラ笑い合おうねって意味だよ。」

そしてこの作品を描いてる途中、現在の絵柄に飽きてしまうという最悪の事態が起きる。
絵柄というか、線の描き方と色の塗り方をこの描き込み量の作品で続けるのは難しいかもと思った。
そうして次の作品から描き方を変えてしまったので、今回ちらほら言われた「ゆめぞうさん絵柄変わりました?」はたぶん本当の話。


そんなわけで一旦振り出しに戻る。
じゃあ大切な人がいなかったら暗い気持ちはいつまでも暗いままなのだろうか。
その子との別れ際、帰り道、ひとりのじかん
ちょっと切ない時間を思い出して寂しくなる。

どうせまた会えるから、また会いたい
大好きなあの子がわたしの知らない世界へ戻ってしまっても
いつでも帰って来たいって思える存在であればいいな。

そんなことを考えて眠れなくなった春の夜だった。
これだから哀愁感に苛まれる春真っ只中はあんまり好きじゃない。

ぱくちゃんのイラストは色数使いすぎたと思ったので、次は色数めっちゃ絞ろう大作戦だ!ってなった。(元々桜満開の鮮やかな夜みたいなのを描こうとしていた)

まんげつ

「キミは大人になる。ぼくたちはその背中を押す。
帰ってきて、なんて言えないけど、
たまには思い出してお話しにきてね」


それにしてもこのテーマは難しい。
いや、テーマに寄り添って描くということはこんなにも難しいんだと、自分の実力不足を痛感する。

「大切な人と居ると明るくなる」
「大切な人が居なくなると寂しくなる」
それ以外のことが何も思い浮かばず、わたしってこんなに中身の無い人間だったんだ?と思ってしまった。
それはきっと誰しもが考えることで、普通に考えたら分かることだと思うからさ。

型に当てはまって、それらしい話を並べてみて、なんだか少し虚しくなった。

中身の無い心はスキマだらけだ。
そう考えると、「ココロのスキマに彩りを」という言葉は、そんな自分自身を鼓舞する言葉のようにも思えた。

スキマだらけな心なりに色々探って、誰かを思うことで生まれる気持ちをずっと形にしていた。
それが作家としてのわたしのやり方のひとつだったんだなと気づく。

そういう風にできることを才能って言う人もいるけどわたしは違うと思う。
だって逆に言えば、誰かを思わなきゃ心は動かないままだし、何も作れないから。
ぜったいわたしひとりじゃ作れないものだから。

心が動かない退屈な時間を何かで埋め合わせられればいいけど、誰かを思い続けるとそれがあんまり上手にできない。
たくさん趣味があって、いろんなものに興味を向けられる人のほうが才能あると思う。

こんなことを考える空虚な時間でさえ愛おしいものになればいいなーと願いながら描いた作品。

たいくつ

「予定は特にない。ただあの日の幸せが、
宙に舞うのを眺めている。
何かを考えている。でも何も起こらない。」


「絵を描くこと以外に何か楽しいことあるの?」って聞かれても上手に答えられない。
あるっちゃあるけど、結局絵を描くことには敵わないし。

わたしから描くことを取ったらマジで誰も寄り付かないレベルにつまらない人間になると思う。
その考えが常に頭の中にあった。

だから作家から離れた外の世界ではできるだけ人の為に時間を使って人に優しくすると決めていた。
誰からも必要とされなくなるのは怖いけど、できることはそんなに多くないから、限りあるそれをやっていくしかないよねって思っていた。

その行動の積み重ねていった結果、幸運なことにわたしのことを大切に思ってくれる人が少しずつ増えてきた。(これは勘違いかもしれないけど、もしそうならば都合良く勘違いさせたままにしといてほしい)

わたしもその人たちのことを大切だと想っている。
皆が幸せそうに笑っていれば嬉しいし、困っていたり落ち込んでいたりすると心配になる。

それは皆も同じだろうか。
いつも目先のことにばかり捉われて見えなくなってしまいがちだけど、心配してくれる人はいつも近くにいるって、信じてもいいかな?

スキマのあなをうめてくれるのは、わたしではなく誰かなんだよなあきっと。

あなうめ

「いつも誰かを想う君は穴だらけだ。
おまけにそれに自分で気付けていないんだから
ぼくたちは本当に心配なんだよ!」



そしてこのパンダ(くまちゃんじゃないです)の作品を描くときは、他の作品よりもより自分の核心を突く部分に触れていることが多い。
詳しいことは唯一個展から引き続いて今回も展示した作品の解説で話してるよ 時間有れば読んでみてね。

はじまり




頑張ったらお腹すいちゃったね。
好きなものだけ詰め込んだスペシャルプレート食べさせてあげるね。
(解説みじかっ)

ごほうび


「毎日毎日おつかれさま。
今日はスペシャルランチを用意したよ!」


誰かを思って心が痛くなって、憂鬱になる気持ちもちゃんと心の彩りだ。
色々形にして振り返ってそう思った。

明るくて美しい世界は、やっぱり暗い世界を乗り越えなきゃ作れないや。

暗い気持ちなときに居る世界がよどんでみえるのは
それだけ明るくて美しい世界と、それを共に創り上げてくれた存在をちゃんと知っているから。

だから暗い気持ちをあんまり否定しないで形にできればいいな、と思う。

あまぐも

「振り返ると、足跡は花になり、
空はどこまでも青く澄んでいた。
わたしの世界を美しく変えてしまう
あの子は本当にすごいや、
いつか会えるかな」


かつてわたしが作品制作をする上でコンプレックスに感じていたこと
作品の中でさえ自分に正直になれなくて、辛い気持ちから逃げたくて楽しい作品を作り続けていたがために、観る人を騙している感覚に陥っていたことだった。

(これについてさらに詳しいことはこちらで語っています↓)


でも、もうそれでもいいかなって思った。
そうであることを認めてあげないと前に進めないよね。

ちゃんと痛みを糧に出来るから。
暗い気持ちも彩りに出来るんだから。

「ごめんね」なんて言わなくていいよ。
「だからなに?」ぐらい強気で行こうよ!

どうけし

「ぼくらは他人の笑顔と感動のために
今日もひたすらに騙し続ける。
誰かの幸せのために嘘をついて
それの何が悪いってんだい?」


紡いだ物語はわたしの物語であり、愛おしい他人のための物語だった。

わたしは才能とか特別な感性は何も持っていない。

周りが思っている以上に空っぽな人間で、
その上色々気にしすぎなところがあるから人一倍心が弱いと思っている。
それを感じさせない術を身につけてやり過ごしてきただけだ。

だけど最近わたしの作品の世界観や物語性を高く評価して下さる方が増えてきて、そこに少し自信が持てるようになった。
周りの方々がたくさん支えて下さったからこそ「寄り添う」っていう選択が出来たと感じている。

その気持ちを受け取るか、拒否するかは観る人の自由だと思っているけれど、
ほんの少しの人たちの心に響けば、それ以上に嬉しいことはないなと考えている。

今回もたくさん温かい言葉をいただきました。

今後しばらく作品を表に出す予定が無いので、久しぶりにゆっくり過ごそうかなと思っています。

とは言えまた表に戻る予定はバリバリあって、いま色々企画している段階なので創作活動は今までよりは頑張り過ぎずサボり過ぎず程よい感じで続けるよ。


素敵な展示会に参加させていただいてありがとうございました。
また会う日まで、どうかお元気で:)

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