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[66本目]そう、ジャーナリストになりたかったんだ

ごめんなさい、それは正確じゃない。ジャーナリストではなく、モータースポーツジャーナリストになりたかったんだ。

モータースポーツに魅入られたのは大学1回生の頃。高校時代の先輩に、F1日本GPに誘われたのがきっかけだった。それまで全然興味がなかったモータースポーツの世界だったけど、そのことがきっかけで突然F1を見始め、猛烈にはまることになる。挙げ句の果てには自由な大学だったことをいいことに、F1のミニコミ紙を発行し勝手に大学の輪転機を使って印刷、大学の至る所にある掲示板に貼りまくるという無茶苦茶なことをしていたのだ。その時に活動する団体として作ったのが第四企画という名前で、後々ガチの会社として法人化するに至ったのである。

ある意味、大学4年間はモータースポーツにはまりまくった学生生活でもありました。最初はそんな感じでミニコミ紙を刷りまくっていたけど、3回生になってホームページなるモノを作る技術を習得して以降は、戦いの場(?)をインターネッツに移し、レースを見てはレース展開を書くという日々でした。まあ、当時は年間16戦だから、日々ってほどの頻度じゃなかったけど、けっこーガチでやってたなぁ。

で、4回生になると研究室に配属されるわけだけど、その研究室がこれまた自由で3回生までの環境とは全然違う最強の環境が用意されており、perlで掲示板のCGIを書いたりして、日本全国のF1ファンの人たちとやりとりがはじまっていた。そのやりとりはどんどん加速して、最終的にはテレビ中継に合わせてみんなでレース展開に手に汗握るという楽しい世界を生み出していたのであった。あ、これ、1996年くらいの話ね。

でで、この頃ってマジで就職氷河期で、でもそんなこと何も考えずにF1のコトばっか見てた自分は、モータースポーツジャーナリストになりたいって気持ちしかなった。就職活動で受けた会社は2社で、1つは童夢、もう一つはニューズ出版。たぶん、ほとんどの人は知らないと思うから説明すると、童夢は京都にファクトリーがあったレーシングカーコンストラクター、簡単に書くとレーシングカーを作る会社で、当時F105というF1マシンを作ったりしてて、どう考えてもこの会社に行かないとみたいな感じだったんだよね。まあ、大学が理系だったからか設計部門志望になっちゃってて、面接でレーシングカーが作りたいのではなくてレースをサポートする仕事がしたいとか話してた、、、まあ、そんな感じだから当然落ちるわけですよ。
そして、ニューズ出版についてはF1速報という今でも存在するF1情報誌を発行している会社で、三宿まで行って説明会に参加したけど、これまた結果は予選落ち。まあ、理系で全然経験のない学生なんて取らないよなぁ、、、。

ででで、結局就職活動はその2社だけで全然しないまま時は進んだわけだけど、当時付き合っていた彼女に振られたこともあり、こりゃもう東京に行くしかねーなとか訳の分からない吹っ切れ方で、ニューズ出版のアルバイト募集狙いで上京することを決定。とはいえ、仕事が決まってない状態ではさすがに無理やろと思い、当時はほとんど存在していなかったけどネット経由でWeb製作会社の求人に応募し、大学時代にperlでCGIとか書いていたこともあり無事採用され、上京することになったのであーる。いやー、大学の研究とか一切役に立たなかったけど、大学時代にはまりまくってたホームページ制作が活きることになったなぁ。ちなみに採用決定は、卒業研究発表の1週間後で、卒業式の1週間前という凄まじいタイミングだったし、親はギリギリまで愛知に帰ってくると思っていたようだ、当たり前だけど。

ああ、でもね、モータースポーツジャーナリストになるために上京したのに、その後もうなんだか大変なことになっちゃったんだよなぁ。

というわけで、つづく。

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