どうでもいい哲学-美人とはなにか (1)
小学生の時、あだ名が「ブス」だった。
カイトのあだ名は「かいちゃん」で
シンノスケのあだ名は「しんちゃん」で
ケンタロウのあだ名は「けんちゃん」で
ヤマギシのあだ名は「ブス」だった
あだ名とは、その人の特徴的な点を親しみを込めて形容するべくつけられる名前である。
まわりは本名にちゃん付けする程度のものだったが、ヤマギシだけ容姿の特徴が取り上げられたのだ。
すなわち名前くらいしか特徴が無いような没個性的人間の中、
ヤマギシといったらそれはもう
並々ならぬブス
しかしどうにも腑に落ちなかった。
容姿に自身があるわけではないが、別に自分のことをブスと思ったことがなかったからだ。
下から数えて、なんて序列をつけようと思ったこともない。
なんなら真ん中、いやそれ以上だ
もっといえばイケメンである 間違いない
それなのに学校に行けば「ブス」呼ばわりされる毎日。
気づけば帰り道、停めてある車の窓に映る自分を深刻な表情で見つめていた。
傍から見たそれは、紛れもなく不審者
こういう時、だれなら本当のことを教えてくれるのだろうか。
しかし結局のところ、誰にきいたって無駄だ。その人が本当のことを言っている保証はどこにもないのだ。
ならば、自分で保証付きの答えを導き出すしかないだろう。
ブスと美人の線引きを明確にし、その根拠まで自分自身で明らかにしないとならない。
だが、ブスとは何かが明確になったところで得をする人間はいないだろう。
考えに考え抜いた挙げ句、悔しくも「どう考えてもブス」というレッテルを貼られて嬉しい人間なんていないのだ
そこでこれから、「美人とはなにか」について考えていきたいと思う。
今回は、情報量が多くならぬようここまでとし、次回その本題に迫る。
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