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白亜の校舎

脳裏に焼き付いている風景、それはよく晴れた日の夕暮れ時に見る高校の校舎だ。

母校の壁は異様に白かった。それ故に空模様をよく映していた。曇り空の日はグレーの中に沈み、昼間はさんさんと注ぐ日差しを照り返すような、白。

その中でも夕日の中の校舎はえも言われぬほど美しかったのを覚えている。けれども、その美しさは絶景という類の美しさではなく、生活の中にあるからこそ美しいという類の美しさだった。

iPhoneで写真を撮ったり、友人にわざわざ校舎の美しさを語ったりすることはなかったが今でも忘れられない。

今日、不意にその風景が思い起こされた。

散歩していた時にふと見えた夕日の中、市営団地の壁が高校時代に感銘を受けた美しさと同じ照度で輝いていたのだ。

なつかしいのに、この感情はどこか居心地が悪い。

失われたものに対する感傷なのだろうか。

それとも、この暮らしで感じている閉塞感は高校時代に感じていたそれと似ているゆえに、滅入ってしまったのだろうか。

 午後7時になってもなお、夕暮れは続く。近隣の民家からは美味しそうな焼き魚の匂いが漂ってきた。

地元にちょっとでもいいから帰りたい。

この時間はそう感じるから、少し怖い。




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