まふまふ『とおせんぼう』:その理由がわかったので

2018年10月18日、まふまふさんが自身の誕生日に投稿した『とおせんぼう』というオリジナル曲。

ずっと考え続けてようやく自分の中で、こういうことを歌っているのだろうという一つの答えを見つけられたので、わたし個人の解釈を書きたい。

【一番】

笑われないように息をひそめて どこかに消えた黄昏の空
明日は鬼の手の鳴るほうへ 上手に生きていこう

不用意な発言をせずに静かにしているうちに、夜が来た。
「上手に生きていこう」という歌詞からもわかるように、今日の「ボク」は上手に生きられなかった。
『目隠し鬼』の歌詞にあるように本来なら「鬼さんこちら手の鳴る方へ」と鬼を呼ぶものだが、通例に反して、明日は自ら鬼のもとに向かうことにする。そうする必要を感じているのだ。
この「鬼」は、あとの歌詞にも出てくるかくれんぼの鬼だろう。

もうちょっとボクを嫌って
うんいいよ 強くたたいて
嫌われるより 嫌われ未満が怖い
ボクはここにいるよね ね?

今日のボクは、嫌われるくらいのことをした自覚があり、叱られて当然だと思っている。
ただ、そんなボクに愛想を尽かして、放っておかれるのが怖い。

とおせんぼ とおせんぼ
ここからボクはとおせんぼ
溢れてひとり 影踏むばかり

「影踏むばかり」とは、影を踏みそうなほど近い距離にいるということ。
それなのに、ボクが輪の外にはみ出している。

かくれんぼ かくれんぼ
誰も見つけてくれないの?
いないないないない
ボクがいないないなあ

息をひそめて隠れているボクのことを、誰も探しに来てくれない。

非難されるよりも辛い、孤独な状況。

【二番】

透明色の雲になるより 嫌われ者の名札をください
擦りむいてわかる ひざの痛みが ボクを数えてくれる

雲は空の色によって、色の変化に富む。
ところが、空を見上げた時にその雲が透明だったら、例えそこに雲が存在していたとしても雲があることはわからない。
ボクはここにいるのに誰からも気にかけてもらえないのは、いないのと変わらない。だから嫌われ者としてでも、ここに存在したい。
つまずいて初めて、ボクは確かに”ここ”に一人の人間として存在していたことを思い知らされる。

そんなんじゃダメだと言って
うんいいよ 強くたたいて
この白線の内側に押し寄せる
空白だけは怖いな な

ボクは自分の非を認めている。こんなんじゃダメだと思っている。だから責めてほしい。
「白線の内側」といえば、「白線の内側へお下がりください」という駅のアナウンスが思い浮かぶ。白線の向こう、線路に落ちると死が待っている。
つまり逆に「白線の内側」は、ボクが生きていられる場所を象徴している。
ボクの生きる世界の中で、忘れ去られることを目の当たりにするのが怖い。

わすれんぼ わすれんぼ
ボクのことはわすれんぼ
手を振ってひとり 塗り絵の中で

もはや忘れられた身として、みんなのもとからさよならして、一人、無色の自分に向き合う。

知らないよ もういいよ
君もどっかに行っちゃえよ
いたいたいたいたい
胸がいたいたいなあ

そんなあきらめたボクのそばに、「君」がいる。
他の人がボクを忘れてしまったように、「君」のことも信用できないのか、突き放してしまう。
ボクは君のあたたかさを受け取ることができないが、そんな風な態度をとってしまうことに心を痛める。

とおせんぼ とおせんぼ

「みーつけたっ」

この「みーつけたっ」は君のセリフだろう。

とおせんぼ とおせんぼ
それなら君はとおせんぼ!
騙されないように...巻き込まないように

ボクの元から離れない「君」に対して、じゃあそれ以上は近づいちゃだめだととおせんぼうする。
ボクに関わると、「君」にも迷惑をかけてしまうから。

優しくしたら泣いてしまうよ?

いたいたいたいたい
胸がいたいたいなあ

不甲斐ない自分にも優しくしてくれる人の存在に胸を痛める。

いないいないばあ

一番の「いないないなあ」と違い、
最後は「いないいないばあ」で終わる。
「いないいない」で隠れて「ばあ」の瞬間表れる。

つまり、ボクはちゃんとここにいる。

動画では、前半は色のなかった菊の花が、
「みーつけたっ」のあとに、ほんのり赤づいていくのも印象的だ。

君がいるおかげで、ボクの世界は彩られる。


曲を一通りたどった後に、ここで、投稿時のツイートを振り返ってみる。

つまり、この曲は、まふまふさんを知ってくれて応援してくれているリスナーへ向けた曲。


◇◇◇◇◇◇


ところで、この曲でやたらと自責の念にかられている件について、
具体的な明記は避けつつこっそり補足すると、この前の時期、少々ネットをお騒がせしていた。
これは決して本人が罪をおかしたわけではないから責める問題でもないが、ただ人気者としてデリケートな問題に対する立ち回りについて、詰めが甘かったがゆえに穏やかでない状況になってしまった。
問題はそれだけではないかもしれないが、何にせよ、おそらく自分のだめな部分を自覚していて、上手に生きられていないように感じていたのかもしれない。
でもそんな至らない自分を見放さずに常についてきてくれている存在に対する気持ちを込めた曲なのだろう。

ちなみに投稿日にLINEでは「もう少しここにいさせてくれるとうれしいです」と送ってくれていたが、

こちらこそ、もう少しと言わず、ずっとここにいてくださいなと言いたい。


ずっと見てますので。


AY

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