「水彩銀河のクロニクル」のお話


まふまふさんのソロアルバム『明日色ワールドエンド』に収録された「水彩銀河のクロニクル」という曲。
最初はそらるさんが好きなのではないかという意識だったのに、じわじわと自分で好きになっていったまふまふさんを、ツイートの引用でお届けしました。


自分はアルバムの中でこの曲が一番好きで、Twitterではこの曲をよく語っているのですが、これまで考えてきたことをここで一度整理しようかなと。

「水彩銀河のクロニクル」
作詞作曲:まふまふ

<一番>

小さな箱庭からボクは
君の目にどう映るの
どう見えるの

寝静まる夜の中 毛布の包む中
広がる世界 ボクらの世界

流星に変えた火の鳥
空想 絵皿の街並み
何色を足して今日を描こう

曲を解釈するうえで作曲した本人が重要なことを言っていたので、6月17日に公式LINEで届いたメッセージを次の一文だけ引用。
「静かな夜に毛布の中にもぐってゲームをつけると その時だけは違うどこかへ行けるような気がしていました」

”水彩銀河のクロニクル”というのは、
自分の思い描くままに(水彩)
別の世界を(銀河)
旅した日々(クロニクル)
のこと。

「小さな箱庭」(=ゲーム)の中には、現実世界とは違う時間が存在し、今日は昨日の続きを進める。そこにはいつでも魅力的な世界が広がっている。
この曲に登場する「君」というのは、ゲームの中のお気に入りのキャラクターだろうか。

闇夜に踊る星屑の雨
小天体にあぶれた涙
オールトの雲間でかくれんぼ
まださみしいから

闇夜に踊る星屑の雨:「しんしんと夜がふける様子」や「星が降る夜」といった夜の表現に、「雨」という単語は親和性が高い(参考表現:しんしんと雨が降る)。
小天体にあぶれた涙:いわゆる、いじめという凄絶な過去も経験している彼は、寂しい夜も多かったのかもしれない。
オールトの雲:「太陽系を球殻状に取り巻いていると考えられる仮想的な天体群」(Wikipedia)で、彗星の故郷とも呼ばれているそう。

つまり、静かな夜に、悲しい現実から距離をおいてゲームに夢中になる自分の姿を、仮想の天体群に潜り込む小天体に例えているわけだ。

彷徨い 微睡む夜に見つけた
水彩銀河のクロニクル
泣き虫を探して空を行こう
君がそうしてくれたように

泣いていたボクは、「君」と出会った。
その時間は自分の中に明るい気持ちを与え、「君」との出会いは、ボクの原動力になった。幼い頃に自分の中に眠っていた想像性を刺激してくれたのも、こういう時間だったのだろう。

<二番>

ふわふわ 風に乗り
春まで寝過ごして
どこ見ているの 何しているの

これは、うーん、一番の「小さな箱庭からボクは 君の目にどう映るの どう見えるの」への返答なのかなと。
冬(辛い時期)が過ぎ去るのを待つ「ボク」を見る「君」の目線。

氷上のパレードを越え
サンシェードで飛ぶ白雲
建て込む塔を吹き抜ける夜想

一番の「流星に変えた火の鳥 空想 絵皿の街並み」と対になってる部分。
(このあたりは具体的なモチーフがあるんじゃないと思っているけど、自分がゲームには疎いので、いずれも素敵な仮想世界の描写だろうというコメントが精いっぱい)

夢の溢れる泉へ行こう
左頬のリネアを辿ろう
指折り数えたあの日のこと
ボクは忘れない

夢の溢れる泉:ゲームの仮想世界。
左頬のリネア:リネアとは「惑星表面に細長く伸びた模様」。一番の歌詞で自分を”小天体”に例えていたのを踏まえると、これは左目から流れる涙の痕。
指折り数えたあの日のこと ボクは忘れない:ゲームの時間は20分間と制限されていたため(本人談)、タイムリミットが来たら、また明日続きを進めることを楽しみに寝る。
そうやって夜の時間は繋がっていて、毎晩少しずつ進んでいく。だからクロニクル(編年的な物語)

ーここまでが、過去の物語を振り返る部分ー


大人になったら気づけない
小さな綻びが あの日の全てだった

背伸びして届いた 片道の扉に
何回も ボクは何度も

置き忘れていく


この部分については、次の本人のツイートから真意が分かる。

(この表現に満足していない本人の思いをくみ取り、一応お茶目な次のツイートも残しておく)

闇夜に踊る星屑の雨
ねえ 君に出会えてよかった
オールトの雲から飛び出そう
もう泣かないから

かつての涙の夜も、気を紛らわせてくれるモノを見つけられたこと。そして、もう悲しい日々は終わったこと。

今日この日をもって終わりにしよう
ボクと君だけのクロニクル
泣き虫を探して空を行こう
君がそうしてくれたように

もう一度 君に会えるかなあ

おそらくほとんど人に言うことはなく、ずっと自分の記憶の中だけにあった大切な物語は、曲という形になり誰かのもとに届けられた。今の「ボク」は、もう悲しい現実から離れ「君」の元に隠れる必要は無いのだ。

最後の「もう一度 君に会えるかなあ」という言葉からすると、結局、「君」というのは具体的な人物やゲームのキャラクターというより、
大人になってからなかなか得られることがなくなった、当時の”感動”のことなのかもしれない。

このクロニクルに刻まれているのは、単なるゲームの記録ではなく、小さな子どもだからこそ、”小さな綻び”を見つけられたという記憶。

彼の水彩銀河のクロニクルはこれからも続くんだろうな。
周りを巻き込みながらー


AY

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