『桜花ニ月夜ト袖シグレ』はAfter the Rain(そらる×まふまふ)の決意の歌である、という個人的考察。
『桜花ニ月夜ト袖シグレ』
作詞・作曲:まふまふ 唄:After the Rain(そらる×まふまふ)
「世界は君を隠す」
『桜花ニ月夜ト袖シグレ』は、
キミに恋したボクが、キミの傍に寄り添う道を選ぶ曲になっている。
自分なりの解釈は、
After the Rainが、この界隈で音楽活動を本格的に始めることの決意が込められている曲。
この曲の「キミ」は、”音楽の夢”のような存在なのかもしれない。
曲の背景
After the Rainの本格始動発表と共に公開された曲。
2016年当時は、ボーカロイドのブームが落ち着いた時期で、
歌い手がどう活動していくかが問われていた。
そらるさん、まふまふさんも
「腹をくくってユニットとしての活動をコンスタントにしていくか」、
「そらる×まふまふ」の「同人のコラボの空気感で続けていくか」で
2人は前者を選び、アーティストとして腹をくくったAfter the Rainの物語が始まった。
(『AtRの本』より)
この解釈を細かく紐解いていくべく、以下で歌詞を順に見ていく。
1番Aメロ
人々を魅了するキミに元気がない。
(界隈のブームが落ち着いてきている様子?)
ボクは何かしてあげたいが、
キミの方からはボクが認識されないことに気づく。
1番Bメロ
ボクはキミに直接手を差し伸べられる存在ではないけれど、
キミによって救われたという確かな事実がある。
1番サビ
催花雨:春、早く咲けと花をせきたてるように降る雨
袖シグレ(袖時雨):袖に涙が落ちかかるのを、しぐれにたとえていう語
ボクは(涙に)濡れるキミをほっとけず、寄り添う。
たくさんの夜を越えても、
自分の思いを果たせるものではなかったとしても(※理に”適う”ではなく”叶う”な点を踏まえて)、
泣いてるキミに届ける歌
2番Aメロ
「たとえ世界がふたつあったとして、その片方の世界で時間を巻き戻したりできるくらいの力を持っていたとしても、もう片方の世界では何の役にも立たない」
(『歌ってみたの本』2016年5月号より)
界隈が盛り上がっていたあの頃まで、現実の時間を巻き戻すことはできない。
2番Bメロ
「となりの世界」の問題(キミが泣いている原因?)は、ボクには解決できない。
でもキミが誰かのおかげで元気になったあとでも
キミがまた泣いてしまいそうになったら、
袖が雨で濡れぬように、ボクはキミに傘を差したい。
2番サビ
「水面に映っている月をすくおうとすると水に落ちちゃうじゃないですか。それと恋に落ちるというのをかけている」
(『歌ってみたの本』2016年5月号より)
ここで「キミ」ではなく「君」が出てくる。
MVでも書き分けられているので、「キミ」と「君」は別の存在だと思われる。
「君」は「となりの世界」の人か?
仮説:月を掬おうと水の中に落ちてしまったボク(キミに恋したボク)は、
もともとは、君と同じ世界にいた"僕"だったけど、
こちら側の世界で千の夜を過ごしているうちに、君とは完全に切り離されてしまった。
Cメロ
ボクはキミに気づいてもらうことはない。
それでもボクはキミが好きで、キミの傍にいる。
落ちサビ~ラスサビ
ボクと君の関係
この曲を踏まえたうえで、自分が思う関係性の仮説はこう。
そのあとのまふまふさんの作品では、『桜花ニ月夜ト袖シグレ』と同じ意味の「キミ」が出てくることはほとんどない。
(そういう意味で、『夕刻、夢ト見紛ウ』とは密接な繋がりがうかがえる)
その代わり「ボク」と「君」の音楽を多く作り出している。
「世界は君を隠す」
音楽の"世界"と、普通の人が暮らす現実社会。
音楽で現実の問題を解決することはできないという意識を抱えながらも、
「キミ」のそばにいる「ボク」(もともと"僕")は、隔絶された「君」のことを歌い続けているのかもしれない。
AY
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