モンスター化するオタク

巷には「モンスターペアレント」という言葉がある。

そして、その呼び名から派生した「モンペ」と呼ばれるファンがいる、らしい。
最初にことわっておきたいが、親バカ的な意味でモンペをカジュアルに使う人もいるので、この言葉を使うのはちょっと悩んだが、この記事においては、特にどういった部類の人を指しているかを文脈で察していただけるとありがたい。

(※なおファンやオタクといった応援側の呼び名は、ここでは明確に定義して区別はしない。その応援する対象や界隈によって適した表現で当てはめて考えてもらえば)

初めて聞いた時は、もんぺ(衣服)のごとく、推しの身を包み込むようにあたたかく守ってくれる存在なのかと思った。

そんな、柔らかい概念ではなかった・・・

まずは、「モンスターペアレント」の意味の確認から。

学校現場において、教師や学校の教育方針に何かとクレームをつける保護者のことを指す和製英語である。特徴は、教育全体に文句を言うのではなく、自分の子どもを特別扱いしてほしいという自己チュー感覚で、1990年代以降に増大しているという。いわば、学園紛争、校内暴力を体験した世代が親になり、学校や教師にあまり敬意を持たなくなり、自分勝手な要求をするようになったことと、親自身も子育てや親としての自覚を学ばないままに孤立しているのでは、と指摘されている(コトバンク

モンペファン、モンペオタクも、推しを特別扱いしてもらうことを望む。

ただ、多かれ少なかれオタクなら、ファンなら誰でもそうだ。
推しを溺愛するほど、推しの待遇が良いことを望むのは当然のファン心理。
では、単なる”親バカ”を越えて、問題となってしまうラインはどこにあるのだろうか。

そもそも、モンペがピンとこない人のために、まずは具体的な事例をあげたい。モンペの代表的な事例というわけではなく、これはきっとモンスター化しているファンの行動だと思われるケースをあげる。ただ、ここでとりあげるのは、歌い手界隈の話で、大変限られた事例なので、もしかすると、参考にならないかもしれないと思いつつ…。

【事例①】検閲
他のファンの言動を監視する。
具体的には、物言いに問題があるツイッターアカウントをこっそりリスト化し、推しに対してネガティブなツイートをしていたら、鍵アカウントの状態でリツイートする(鍵垢RT)。
FF外の鍵アカウントだと、リツイートされたことはわかっても、アカウント名はわからない。
そのため、鍵垢RTをやられると、大変気色が悪いうえ、こちらからは何も相手に手を出せない。
鍵垢RTの対策は、自分も鍵をつけてフォロワーさん以外にツイートを見られないようにするか、ツイート自体を自重するか、しかない。
つまり表立って推しに関するネガティブツイートをやめさせる常套手段である。

【事例②】言論弾圧
監視するだけなら、まだ圧としては弱い。
さらにエスカレートすると、質問箱やDMではっきり意見を言ってくる場合もある。
例えば、ライブへの文句を言うのも聞き捨てならないらしい。
推しを擁護する意見や、「推しの見えるところで批判的なことを言うのは慎め」という趣旨のことを言われる。
相手の一番の願いは「降りること」だ。
よって、和解など望めないので、不毛な議論に終わる。

伝わるだろうか…。
モンペといえば、テレビ番組に不満があってクレームをいれるといった目立つ行為をする人だけではない。
ネットにはもっとしたたかで粘着体質の人がいる。一見大した行為ではないように見えるが、これが一度目をつけられると非常に発言がしづらくなりとても厄介なのだ。

自分は当初こういった行為は、精神が未成熟な一部の若いファンが過激化しているのだと思っていた。なにかとネットを炎上させてしまうような部類の(下記の記事参照)。


だが、上記の検閲や言論弾圧をする部類の人に対して、エゴサ避けしていても関係がないのだ。
推しの目につかないようなところなのに、何故ここまで粘着するのか。
その場の感情に流されているわけではなく、頭を使っている。いたって冷静であることがわかる。
これは推ししか見えないタイプのファンの仕業ではない、ということに気づいた。

ここで浮き彫りになるのが、過保護が度を越してモンスター化しているファンの存在だ。
”推しだけを見てる”、ではなく、”推しの幸せだけを望む”。
そういったファンは、自分の幸せというのが推しの幸せにすり替わっているので、推しの前にも表立って出てこない場合もある。
水面下でパトロールをして、推しにとって負の因子を攻撃する。

推しのためにやっている、推しが悲しむことはやめさせているという正義感が強いので、こういった行為をする本人は何か問題もあると思っていないと思われる。「推しのため」という大義名分を掲げているから。

だが、それこそが問題なのだ。
ファンは自分が楽しいと思ったからこそ、ファンになる。
自分の幸せが先行していたはずだ。
推しの幸せ”だけ”を望み、己の感情を顧みないなんて、ファンの在り方としては歪である。

ファンであるなしにかかわらず、人間には表現の自由がある。
だから、好きなアーティストだけど、この曲は好きじゃないとか、このライブは面白くなかったとか感じることもあるし、そういった感想を言う権利がある。
自分の気持ちに素直であることが許されている。

ただし一つことわっておきたいのは、ファンは批評家ではない。
運営や活動の方向性についてえらそうに物申す立場ではない。

あくまで、提供してくれるものに対して、好みを表明する存在である。
もちろん、ファンの正直な反応にアーティスト側ががっかりしてしまうこともありうる。
そこは人としてデリカシーをもてるかどうかの、各々の配慮にゆだねられる。そしてよっぽどのことがなければ、基本的にファンが推しを痛烈に批判することはない。賞賛するのがルーティンだ。

ファンにとって「推しが批判されていると悲しい」。これも真だ。
ただ、アンチに喧嘩を売るのは賢明な行為とはいえない。
これに関しては根が深い問題だけど、結局ファンになった以上は運命共同体なので、風当たりが強い時は推しの心に寄り添って、推しが落ち込んでいたら一緒に落ち込んだり励ましたりすればいいのではないかなと。
間違っても、手段を選ばずに攻撃などしてはいけない。
逆に推しに迷惑をかけてしまいかねない。

モンスター化したオタクの行動は、その延長線上にあることがおわかりいただけるだろうか。

正直に言うと、自分は自由にツイートもできずに、言論統制されるのはごめんだ。

自分の発言には自分で責任をもつべきなので、批判的なことを述べた結果として、フォロワーが減り、推しにも疎まれるという分には甘んじて受け入れる。

しかし、関係のない第三者に自分の意見自体を否定されるには、それだけの筋の通った言い分が必要になるはず。論破してくれるならば、こちらも折れることはありうる。
だが、モンペの言っていることはもはやまともな議論に発展させられるような反論の類ではない、つぶしにかかっている。
ただ「推しのため」なら、なんでもまかり通るわけではない。

もっぱら推しの幸せだけを見つめている人にとって、ファンの幸せなど意識にないのかもしれないが、そんな人たちがいると、ファンがより踏み込むことを躊躇してしまう。

ここまで言えば、あれこれ言葉を尽くさなくても、その行動が本当に推しのためになっているのか、あとは少し考えてみたらわかるだろう。

最後に、モンスターオタク予備軍ではないかどうか、チェックできる指標を提案したい。(※あくまで個人的な見解)

冒頭にあげた「モンスターペアレント」の説明に、「親自身も子育てや親としての自覚を学ばないままに孤立しているのでは」とあるが、この“孤立”は大きなキーワードとなる。

父母や親戚、頼れる友人も近くにおらず孤立状況にある親ほど、子供に過干渉してしまうということはありうる。
あまり自分の境遇を共有する付き合いもないと、不安も増えるし、悩みも抱え込んでしまうし、結果、子供を介した数少ない繋がりである先生にクレームを集中させてしまう。

これと同様に、孤立するオタクは、モンスター化する可能性がある。
これは、オタクの友達がいない、ということではない。
自分の境遇を共有できるような存在がいない、ということだ。

不思議なことに、悩みを抱えているオタクの方が実は孤立しない。
例えば、お金がない。
会場が遠いので、なかなかライブに行けない。
忙しくて、活動を追えない。
推しに認知されようとファンサを受けようと必死な人も、あれこれ考えて暮らしているはずだ。

まず、問題を抱えているという時点で、意識がそこに向けられるから、ほかの問題を探しに行くようなことをしない。
さらに、問題の理解者がいれば、そのオタクコミュニティの一員として無意識にでも心が定着するので、自分にとって害とならない限り、そのコミュニティの内部における人間に対する攻撃性は生まれない。

そもそもオタクとして悩んでいるうちは、”自分の幸せ”を考えているということなので、モンペにはならないと思われる。

孤立するオタクとはー
そこまで苦労することなく、いきたいライブにもそれなりに行けて、ほしいCDやグッズもそれなりに買うことができる。大きな課題が特にない。
あるいは昔からの古参といわれる人だったり、なにか特別な信頼関係を築いていて、ほかとは意思を共有できない。
周りのオタクと同じような”病む”要素が少ない。
こういうほかとは違うという意識をなんとなく感じてる人に、モンペになる人が出てきやすいような気がする。もちろん全員ではない。

どんなふうに傾倒していくのかは、人それぞれ要因は違うだろうが、
もしかすると、”物足りない”思いの反動なのかもしれない。

推しのためにエネルギーを使いたいが、普通にしている分にはそこまで消耗することがない。周りと自分の境遇を共有できないから、推しを中心に世界が回る。エスカレートするとそれが唯一の正義となる。愛を投入する手段として、そういう形にいきついてしまうのかもしれない。

ただ、その先で、満たされている人を見かけたことはない。

モンスター化した行為に走っても、満たされることはない。
というか、やがていなくなってしまう。

◇◇◇◇◇◇

考えを整理したかっただけで、誰宛てに書いた文章というわけでもないので、最後に誰にどんなふうに呼びかければいいのか悩ましいが、

推しの人生は推しのもの、自分の人生も自分のもの、それを忘れずにみんなが素敵なオタクライフを送れる幸せな世界でありますように。

AY

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