推しを一生推したい:四次元への誘い


ファン「一生応援します!」

1年後ー

どこいった??

とかくこの世は嘘に満ちている。
優しい世界になるにはどうしたらいいのか、そんな気持ちでこの文章をしたためている。

ちなみに近頃、時空間とか次元とかの話が気になっていて、とはいえ、自分はがっつり文系で物理をしっかり学んだ基礎もなく、にわか知識を躊躇なく取り入れることをことわっておきたい。


正確な定義はおいといて、ざっくり、二次元は平面、三次元は平面が立体化した空間、そして四次元とは空間に時間軸を加えたものである。

二次元推しというと、アニメや漫画などのキャラクターを推している人で、三次元の推しだと、アイドルや声優など、実在の人間を推していることになる。

では、四次元推しは?
理解するための導入として、オタクならばきっと誰もが見かけたことがある次の言葉がふさわしい。

「生きてるだけでファンサ」

三次元の人を相手にすると、推しがこの世に存在しているだけで尊いと感じる境地にいきつく場合がある。しかし、もはやこれは四次元だ。

この世界は三次元のように認識される。人物も。
我々は今この瞬間にしか存在できないが、今この瞬間の三次元を切り取ることはできない。切り取るとちょっとだけ過去になる。なので、そういう視点で、我々の状況を客観的に見ることができるなら、四次元なのだ。
生きているうえで人生と時間を切り離すことはできない。

そして、上記の言葉は正確には「今この瞬間生きてるだけでファンサ」だろう。

去年の映像でも昨日のライブでもなく、現在自分が確かに推しの存在を確認できていることを貴重だと尊ぶ心理。

過去に巡り合えた奇跡、今もこうして存在を確認できることへの感謝、そして未来はどうなるかわからないという不安など、各々に理由はあるだろうが、意識的にせよ無意識にせよ、時間軸の中で推しを認識して初めて出てくる言葉である。

いったん四次元の域に到達すると、その下位の次元をすべてひっくるめて愛せるという究極のオタクになる。いろんな空間いろんな景色を見ても、些細なことも派手なことも、三次元で認識する推しのすべて尊い。
もっというと、推しのイラスト(二次元)も、推しに関する文章(一次元)も。


ここで、推しの全てを愛せてこそ…!という話がしたいわけではない。好みもあろう。あくまで愛情表現の一種で、ファンは自分の嗜好やセンスも大事にするべきだ。

注目したいのは、四次元で推しを認識するという視点だ。
わかりやすくいうと、ようは時間への意識だ。

ライブで観た景色が本当に最高で、その余韻のなかで感極まって「一生応援します!」と口走ってしまうようなファン。
今この瞬間の三次元の空間が一生続くと信じているし、その空間に一生いたいと思っているから。

だが、忘れてはいけない、我々は四次元を生きている。
環境は変化するし、人は成長も忘却もする。
今見えている景色が、これからも変わらないなんてことはありえない。
でも高ぶっているときはその変化はあんまり意識になくて、この最高の三次元をそのまま時間軸にそって平行移動させられる感覚で、「ずっと」「一生」なんて言ってしまう。

では、一生推すことはできないのか?

あるアイドルの卒業の際に、「推し切る」という表現があることを知った。
活動をやめるその瞬間を見届ける栄誉あるオタクの称号だ。

なので、死ぬまでかどうかはわからないが、活動期間を最後まで見届けることは可能だ。

もちろん気づけば、長いこと推しているなという人もたくさんいる。
なんとなくここまできたという人もいる。
活動に紆余曲折あり、ほかのオタクは多々去っていったけど自分はなぜか残っているという場合もあるだろう。


ここからは立証された話ではなく、憶測だが、
長く推すうえで"時間的経験”は要のように思う。

「待つ」「耐える」「信じる」etc.…

その場その場の盛り上がりだけではなく、自分の応援が時間軸にしっかり位置づけられている実感があると強い。

自分の中にそういう安定した時間軸があれば、それを支えに活動の変動期にも耐えうる。

「時間が解決する」という言葉は、単なる気休めではない。
なにがあっても地球は回るし、朝日はのぼる。

目の前の困難が自分には抱えきれないもので、仮に現実を放置したとしても、時間は勝手に流れてくれる。自分のいる三次元を勝手に前に進めてくれる。

どうしようもないどん底、突破口の見えない現実、希望のない将来への絶望。そういうなかで自分から何もかも見放したくなったとしても、必ず自分の世界は動くし、変わる。

そういうなかで人生を生きる希望をもてるようになるかもしれないから、死んじゃいけないよ。わたしもまだ死んでないよ。


…話がそれている気がする。

そうそう、四次元推しね。

三次元に酔ってる状態で、四次元の話をしても信ぴょう性はないが、逆に四次元の世界を意識していれば、三次元のとらえ方が柔軟になるはずだ。

そこで本気で推しを推したいなら、思い付きの衝動的な行動もいいが、あえて腰を据えて時間軸を意識することを提案したい。

「習慣を続ける」「予定をいれる」「目標を立てる」

飽きたように感じる、何か一つの出来事をきっかけにすぐに見放してしまう、なんて一時的な理由で降りる、そしてやっぱり…と出戻りするくらいなら、持続して推せるにこしたことはない。オタク的美学。

自分の信念以外にぶれない軸があるのはすごく大事で、それをどんな時も必ず人生とともにある「時間」にする。

努力というのも、結局習慣にしてしまうと苦じゃなく続けられるように、もはや推しを応援することをライフワークにするという案といってもいい。


四次元で推すって名案なのでは?という気持ちで書きはじめたけど、あんまり有用性を伝えられていない気がする。
…が、このまま勢いで、活動者にも逆のことがいえると続けたい。

本気で活動にのぞむなら、一発屋ではなく、長く多くのファンについてきてほしいはずだ。
(もちろん実力を伸ばすといった基本的な努力ありきの話)

肩書にしばられない、自分なりのスタイルを貫くという活動者もいるだろうが、行き当たりばったりだと正直多くの人はついてこられない可能性がある。
自分の表現する三次元の空間がいかに時間軸に沿ってきちんと進んでいくか、ということは非常に大切。
そのなかで活動の形が変化することもあるかもしれないが、忘れずに時間を意識してみる。

一貫してなにかを継続する。〇回目記念、〇周年などを数える。過去の約束を果たす。

なんでもいい。過去から未来に自分をつなげる軸をファンと共有するのだ。


◇◇◇◇◇


過去のきれいな思い出にとらわれるよりも、どうなるかわからない未来を憂うよりも、目の前にある奇跡を未来につなげるために、時間を味方に。

四次元を謳歌しよう。


AY

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?