その言葉がずっと駆け巡っている。

新型コロナウイルスによって、世界で85万人の人々が完成しているというニュースを目にした。東京オリンピックは少し前に延期された。準備していた只本屋の5周年も無くなってしまった。4月が始まったというのに、全ての予定は未定となった。

とりあえずこの雑記のようなものを日々書いて行くことから始めようと思う。

2011年に東日本大震災があって、その時に東京も随分と混乱したことを思い出す。原発の事故によって、放射線量の高いホットスポットが危ないというような目に見えない恐怖に怯えていたように思う。あの時にはどこかに行けば大丈夫。東京がダメでも他の土地へと、日本がダメでも他の国へ。そんなことを考えていた。それから2年かけて考え方や働き方を変化させたので、その時のことが今につながって、なんとか生きている。

今はどこにも行けない。家が一番安全という考えのもと、誰にも頼れないし、頼ることで誰かに菌をうつしてしまうかもしれないというそんな状況に、これは困ったと思っている。また新しい考えと術が必要なのである。

4月が始まり、なんだかんだで家を失いそうで、これには只本屋も多分に絡んでいるので、どうにか次の行き先を決めていかねばならないが、世の中のどこにも行くなという雰囲気や目処の立たない予定に、なんだかぼーっとしてします。

「咳をしても1人」という自由律俳句がある。

孤独感がある俳句だけど、今は咳をした時に少し安堵する。1人で良かったと。新型コロナウイルスの影響によって、また世界は変革すると思う。そこで自分は何を選び、何をしていくのか。4月という区切りに考えていこうと思う。

この間漠然と人を救える美術とはなんだという問いかけを自分にした。その言葉がずっと駆け巡っている。


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