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助ける人を選ぶということ

本日、緊急事態宣言が宣言されました。それに伴って都市間の移動が困難になりました。京都は対象外でしたが、大阪、兵庫が対象区域となりました。だからと言って安心というわけではなく、感染者の増加率に伴っては京都も対象となり得るだろうと思っています。

それに伴って、春に開催をしようと思っていた言志の学校を延期することにしました。今日、共同運営のアンテナの堤さんと短時間だったけど話していて、色々最後の最後まで開催の可能性は捨てたくなかったのですが、飲み屋や映画館、小規模店舗が軒並み閉店を考えるほどの事態で、今は学校を始める時期ではないと判断しました。最終的には加害者も被害者も出したくないということで。僕らはその責任を取れないし、そういう事態にならなと思いえない中での開催は断念となりました。

今新型コロナウイルスに感染している方々の多くは感染経路が辿れないそうで、政府や医療機関でそう言った事態の中では、もはやどこでも感染のリスクがあり、今はいろんなことを自粛すべきなのでしょう。

毎日のように知り合いや仲間が支援を求めています。そういう中で僕らがみんなを助けることはできないから助ける人を選ばないといけなくなっているんです。そんな状態で一体何ができるのでしょうか。

何もかもをオンラインにしないといけないというのは違うと思います。今まで顔と顔を突き合わせてやってきたものがオンラインでできるとは思いませんし、そういったものをやることに意味はないのかもしれないです。

僕らの周りには作家が多くいます。作家の多くは制作を軸に置いているので非正規雇用者がたくさんいます。こう言った世の中なので、働き口がどんどんなくなっています。作品も売れない、働き口もないでは生きていけないのです。生きていけないのに周りの仲間が死んでいく状況ではどうにもできません。

行動を起こさないといけないのではないでしょうか。誰かを助けるために、そしてそれは自分を助けるということでもあり、それがなんであれ行動を起こすことが次に繋がるように思います。



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