やまぶ記 第十二夜 〜小さな帝国と大きな民衆の怒り〜 ※RRRネタバレあり

こんばんは。
今日の日記はRRRについてお話します。
一部に致命的なネタバレを含みますので未視聴の方、およびに

暴力への抵抗感が強い方

はお読みにならないようお願いします。

先日AmazonプライムでRRRの販売が開始されましたので早速見直しました。(全編ではなく取り急ぎある程度かいつまんでですが…)

これで累計1.6回くらいは見たことになると思いますが、その上での情熱を日記にぶつけたいと思います。
lneyaの趣味嗜好のままに気に入ったものや読み取ったものを書き綴ってみます。

恐ろしく残酷で酷く脆い帝国の支配

作中のインドは大英帝国の支配を受けており、W主人公であるビーム&ラーマはいずれも一貫して帝国と対峙していくこととなります。

作中ではその支配の残酷さが繰り返し描写されており、インド人の命など弾丸にも劣るとして棍棒や鎚で撲殺する、幼い子供を攫い鳥籠の鳥のように扱う、見せしめあるいは個人的な嗜好のために残酷な鞭打ちを行うなどそれこそ目を背けてしまいたくなるのもわかるほどです。

「白人も子を産むよな、痛みを知っているよな?」

印象的なビームのセリフです。
人を踏みつけにすることを当然とする非人間的な帝国というシステムを到底理解できない困惑と怒りが現れているように思います。
作中虎の命を奪った際には涙を流し詫びる優しい彼です。そんな彼を育てた森にそのような悪意(悪意よりも悪い何かかもしれませんが)はなかったのでしょう。

一方でその支配が盤石ではないことも序盤から示されているように思います。
序盤の抗議運動の場面では、ラーマの活躍?によって流れが変わりましたがそれまでは波のような怒れる民衆に帝国側は恐れ慄くしかありませんでした。

前述した通り弾丸にも劣ると嘲っていても実際には全員の民衆を殺してしまうことは不可能です。イギリスとインドの関係に限ったことではありませんが、支配階級は少数だからです。

(出来たとしても皆殺しにしてしまえば支配の意味すら無くなるのですが。)

「分割して統治せよ」という言葉があります。
この手法は歴史的にも少数が多数を支配するための効果的な常套手段でした。

例えば史実の大英帝国はインドに従来から存していたマハラジャ階級などを据えて間接支配を行っていたようです。
このあたりの描写は多くはなかったので割愛しますが、分かりやすく言えば(意図的に仕組まれたものではありませんが)ビームとラーマの対立も結果的にはそのような益を生むのです。

しかし彼らは志をひとつにすることが出来ました。その表れが再会後の最強肩車です。
「見せ場」「おもしろシーン」としての側面もあると思いますが、lenyaはそういった意味も込められているのだと思います。

しかし彼らは志をひとつにすることで成長しあのような離れ技ができたのではありません。
序盤でダイナミックな人命救助を行なっているように「元々出来た」のです。

映画という性質上「それはビームとラーマがスーパーマンなだけじゃん」と捉えられてしまいますが、これはひとつになった民衆の底力を意味していると言っても良いのではないかと思います。あくまでビームとラーマはその代表なのです。

それは屋敷内で動物を解き放つシーン、怒れる民衆によって柵が破られるシーンにも現れています。
大変な苦渋や犠牲があることを過小に考えてはいけませんが、民衆は正しい相手に恐れず怒りを解き放つだけで支配から自由になれるのだというメッセージに思えてなりません。

ずいぶん長く書いてしまいました。今週はこんなところで辞めておきましょう。
続くかどうかは気分次第です。また来週。

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