分岐点

桜花での分岐点
桜花での分岐点は、間違いなく2年の終わりだったんだけど。

国体後のウィンターカップ前かな?
わたしたちの学年全員先生に集められて
「お前らこのままでいいんか?
来年自分らの代で誰も試合に出られないぞ」
って言われたの。淡々と。
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桜花って
同じくらいのレベルだったら
下級生が出るチームなの。
それは、在校生、卒業生みんな理解してて
毎年強くいる為の共通理解。
成長する下級生に経験させる。
だからこのままじゃ、私たち誰も出られないって。
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私自身
実際もう諦めてたところもあったの。
入った時からレベルの差は感じてたし。
だって2年になってもユニフォームすら貰えないし
Dチーム。
調子良くてもCチームだし。
CDを行ったり来たり。

当たり前に観客席で応援して、
ビデオ撮ってスコア書いて荷物運びして。 
自分がコートで活躍する姿なんて想像すらできなかった。
しようとしなかったんだと思う。
このまま時が過ぎるんだろな、くらいかな。思ってたと思う。

さっきも言ったけど、それ言われてた時点で私はまだ
ユニフォームを着られる所にいなかったんだけどね。
2年の国体も居残り組だったし。

全く試合に絡めなかったけど
来年への責任感だけは凄く感じた。
私たちが3年生になった時
2年生だけに試合の責任背負わせて
試合後に支えてもらった って
それだけじゃいけない。
自分が頑張らなきゃ後悔する。 
一個下はエリートだけど
どうにかそこに潜り込まないと!って。
(この時点で、潜り込まないとっていう意識の低さは置いといて笑)
少しでも引っ張る位置に行かなくちゃって思った。

もうみんな知ってると思うけど
一個下は
どのチームも黄金世代と言われていて
実力も能力もある子達がゾロゾロ居たの。
桜花に入ってきた時点で
私なんて抜かれてるようなセンスのあるいい選手が多かった。
スイスイ抜かれても悔しさも感じなかった。
しょうがないし、当たり前って思ってた。
ここに居る人、来る人たちは
私とは住む世界の違う人だなぁと。


でもね、先生に集められて
さっきの言葉を言われた瞬間に
ハッとしたんだよね。

あ、先生は諦めてないんだ。
まだ私たちに期待してくれてるんじゃないかなって。
諦めてたら
わざわざこの時期にこんな事伝えてくれないよなと。

まだチャンスがあるって言ってもらえたのに。
ベンチや観客席から応援するのを自ら選ぶなんて
そんな寂しいことある?って。
自分が試合に出ないにしても
今、可能性を捨てて
下級生に全てを託すなんて無責任過ぎないか?って。
やらなくちゃいけないって。
試合も出ない、名前も上がらない
あれ?私本当に桜花にいる?
って思われてたと思う。
地元じゃ、少し有名だったけど桜花で全然ダメじゃん!
って言われてたんじゃないかな
それもしょうがないって思ってた。
もう本当に何もかも諦めてた。
私が桜花に来た意味、頑張った事ってなんだろう?
なんとなく居るだけにってないか?って。
やるだけやってダメならきっぱり諦めて
サポートに回ろうって。
その時思たんだよね。

その日から
私なりに努力と言われるであろう
私がして事ないモノをひたすら続けた。


まずは
私がスタメンになるために
倒すべきチーム内のライバルとの私を比べた。
身体の強さと明らかなシュート力の差。
これ以外は勝ててると自分では思った。
と、言うことはこれらをクリア出来れば
ライバルに勝てるのでは!!!?
と、少し勇気が湧いてやる気になれた。

私がやった事は2つ。
身体を絞って強くする事。
シューティング。

練習が終わりライバルが帰るのを待ち
帰ってからひたすらシューティング。
(やってるところを見られたくなかった)
気が済むまで打ったら夜ご飯。
そしてまた体育館へ行きバッシュを履いて
シューティング。
体育館は21時までしかボール使えなかったので
そそくさとシューティング。
21時から漫画を読みながら
身体中にラップを巻いてバイクを漕いだ。
それが終わったら半身浴。

大体こんな流れ。
シューティングをこなす から
シューティングで感覚を掴む に目的が変わった。

そしてウィンターカップのエントリー発表で
初めて三大大会のエントリーに入れた。
嬉しかったなぁ〜
陰で泣いた気がする。
あの時貰ったユニフォーム抱きしめたもん。笑


そして3年になって
夢だったスタメンになれた。
スタメンになっても
絶対自分が足引っ張らないようにと
決してポジションを譲らないように
シューティングもバイクも続けてたなぁ。

先生に言われてからの自分の行動が
ユニフォームをゲットするという結果に
どう繋がったかはわからない。


だけど、
自分の考え方が変わって
取り組み方が変わって。
取り組む姿勢や質が上がったのは間違いない。

あの時の努力や姿勢がなかったら
スタメンにはなれなかったと思うし
早稲田にもいけなかったし、
プロになることなんてできなかった。
今の私はここにいないと思うから
大切な分岐点だなと思ってて
この時のこの事はずっと覚えてるんだよね。

ふとした日常だけど
見方変えると見えるものってあるよなぁと
今書いてて感じた。

あの時、先生がまたなんか言ってる〜
って思ってたから
今どこで何してるんだろう?

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