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紫陽花がひとりでに咲き始めた話

ご近所さんに北村さんという一家がいる。
と言っても、娘さんは家を出て久しく、お父様は何年か前に亡くなっており、お母様の一人暮らしである。

お母様は……もういくつくらいになるのだろうかも分からない。
とても懇意にしていた訳でもないが、軒先に信楽焼のたぬきと花を飾るのが好きな人だ、ということはよく知っている。

そしてそんな北村さんは、私の知らぬうちに認知症の気が出てきたらしい。らしいというのも、あくまで推測でしかない。
ごくたまに小さいバスが家の前に止まって、乗り込む姿を見かける。老人ホームなり、それに準ずる施設だろう。
そして本当に心が痛いのだけれど、たまに来る娘さんに外出を許されていないのだろう。ガラス戸に張り付いて道行く人を眺めている姿を何度も見たことがある。

軒先の花たちは、当然長らく手入れされていないのだろう。
それでも鉢植えの額紫陽花は、季節を告げるように美しい花を咲かせている。
人の手を離れても、植物は己の力で花を咲かせる。その花は時間の移ろいを黙って知らせてくる。そのことが、残酷なように思えた。


実際、私の手には負えないほど難しい話だろう。
私は介護や看護に従事していないし、認知症の実態を知らない。
ただ、先日祖母の命日で、色々と思い出したこともある。

祖母は認知症が酷かった時期に、下着姿で三駅分ほど歩き、保護されたことがある。
身元が分かったから良かった。本当に良かった。おかしいな?と思って声をかけてくれた人がいて、優しい人だったのも本当に幸いした。
それでも分かったことは、認知症というものは、服の正誤は如何として、そも寒暖の感覚が分からないということ。真冬ではないにしろ、かなり肌寒い季節だったように思う。
そして、体力のリミットの枠がぶっ壊れてしまうこと。認知症になる前から体力のある人ではあったものの、「普通に考えて老人で徒歩ならこの圏内くらい……」と言った考えはかなぐり捨てなければならなかった。道理で行方不明になる人が多いものだ。

ちなみにこの祖母は、寝たきりになったのが亡くなる前のたった二日間だったらしい。
元気すぎる。四捨五入で百だったのに。

以上の経験があるので、北村さんの娘さんの「家に閉じ込めておく」という選択は、一概に酷い!非人道的だ!とも思えない。
娘さんも周りに私の祖母のような例を知っているのだろう。大事なお母様を守りたいのだろう。
どの対応にも正解なんてないんだな、と考えさせられてしまう。

私の住まう区は府内で一番老人の比率が高いらしい。と言ってもだいぶ前に聞いた話なので古いデータだろうけれど。
観光客らしいカップルが商店街を歩いて「なんか巣鴨みたい~」と言っていたのを道すがら聞いたことがある。やかましいわというところだ。


話は変わるが、先日ジャッジアイズというゲームをクリアした。発売からかなり経つが、かなり良作であった。
作中では、認知症を治す夢の薬を巡って陰謀が繰り広げられていた。
まさに日本が今直面しているめちゃくちゃデカい問題に切り込んだゲームだった。
いつの日か「これジャッジアイズやん!」と言えるようなニュースを聞ける日も来るのかもしれない。来てほしいなぁ。


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