同時進行の治療に…
2023年10月初旬。
3度目となる癌が見つかった父。
即入院でした。
かかりつけの病院へは
以前から定期検査の為通院はしていた中、なぜ?としか思いませんでした。今でもこの病院には疑問です。
紹介状を受け転院先での診断は
肺癌ステージⅣの末期。
父80歳の年。酷です。
散々検査もしていたのになぜ。。
姉から待合室で待つ父の姿が動画で送られてきました。痩せ細り苦しそうに肩で息をしている姿。それを見て即帰りました。覚悟もしていました。今でも忘れられません。
初見では手術も治療も出来ないという判断でしたが、入院し点滴や薬の効果か父は廊下をスタスタ歩きご飯も完食していると。その経過から担当医師は抗がん剤治療をやれると判断してくれました。それは私達家族にとって希望が見えた瞬間でした。父の体力など父に見合ったペースで治療計画をしてくれ寄り添ってくれていました。昭和オヤジの文句もうまく付き合ってくれていましたね。感謝しかありません。
師走の忙しい時期。
私だけ遠方で暮らしている為
随時姉から状況連絡をしてもらっていました。
たまに電話が来るとハラハラしてしまう。
姉が直接医師と連絡を取り合っている為
判断する時に姉妹で相談するようになりました。何度か副作用や効果がない時など山あり谷ありで、越えれるか心配であった年末も一時退院でき、その年の年越しは家族で越えることが出来ました。娘2人が嫁に行ってから家族4人集まりこんなゆったりとした正月を迎えられたのは初めてだったと思います。
正月が明け私は自宅へ戻り、仕事始めに。
1月と言うのは決心したい時期。
38歳があと2ヶ月先に迫っていました。
不妊治療をお休みして4ヶ月程経っていて、
転院も視野に入れていたので2月には新たな
クリニックへ行こうと決心。
近場の普通のレディースクリニック。
経過を話し基礎体温を提出しすぐタイミング法での指示を受ける事に。
その頃父は、体力的にもキツくなってきたところでした。抗がん剤の薬も弱いものにしてもらったり、徐々に限界が近づいてるなぁと感じていました。それでも父は治療を受ける、受けないとしょーがないだろ。と強気な姿勢でした。
体重も40k台になってる中よく頑張ってるなぁとほんとに感心と誇りに思いました。
私と父は同じ3月生まれ。
私が先に38歳になり
父も81歳を迎えられました。
この3月!私は勝負だったことを知ることになります。仕事は相変わらずというより1番稼いだ月でした。笑 気持ち的には仕事モード。
下旬。気づいたらそろそろ月経周期。。ルナルナ予定日3日過ぎ、5日、ん?もしや?イヤ、まだ確認しない。1週間経ったらと決めていた中、4月のあたまに父の治療説明があると姉から連絡があり正月以来帰ってなかったので帰る予定を決め、クリニックの予約も仮で入れました。7日目に検査薬をして+なら次の日クリニックへ行きその足で実家へ帰ろうというスケジュールをソワソワした時期に頭の中で組んでいました。
仕事も少しお休みを頂き
主人とも色々パターンは話し合っていました。
今となれば3月から4月の毎日がハラハラ、ドキドキ。色んな感情で不思議な1ヶ月。
続きはまた話します。
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