跡/ART
伊藤亜紗「記憶する身体」に、次の挿話が紹介されていた。
上の一節は、メモをとる盲目の女性のインタビューの中に挿入されていた。その女性は、紙にペンを走らせることで思考を整理しているという。彼女に限らず、人間は道具を使うことで脳の機能を拡張させ、本来脳の持つポテンシャル以上の深い思考を行う。では、このとき生まれる「メモ」とは一体、何なのだろうか?思考の跡として残ったソレは、どのような意味を持つものなのだろうか?
たとえば目の前に真っ白な紙があって、線や色を配置していく。無心で空間を埋めていても、そこでは「描きながら考える」という行為が行われている。一般に「創作」と呼ばれるものは、この描きながら考える行為を指す。言い換えれば、「思考の跡」を私たちが「アート」と呼ぶ。
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アートが「思考の跡」なのだとすれば、アートを鑑賞するとはどういう行為なのだろうか?作者の考えを「辿る」ものでもあるし、その先を「引き継ぐ」行為ともいえる。いずれにしても、作者の思考を推測し、鑑賞者自身の解釈を追加する行為だといえる。
アートを「思考の跡」と定義しなおすことは、その周辺にある「鑑賞」「批評」「キュレーション」といった言葉の再定義をうながす。考えることを定義の側から肯定すること。そこから考え直す必要がある。
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