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【要約】ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則

《第一章》
ここではこの本が生まれた経緯、良い企業と偉大な企業の分け方をどうすべきかについて記載されている。ビジョナリーカンパニーが述べた企業は元から偉大だった。偉大な企業は、実績が飛躍的に伸びた企業、この飛躍的という意味は、転換点から十五年間でみた株式の平均運用実績が市場平均の六.九倍とする。比較対象企業実績が悪いわけではなく良い企業ではある。この比較対象企業の意味合いとしてあくまで飛躍的な成長をした企業の特徴を調査するためのものである。その流れを次の四段階に記載する。
・一段階
偉大な企業を見つける事。偉大な企業の概念として「株式運用実績及び持続期間を特定の数字を設けて達成した企業」とする。(前述記載)
・二段階
比較対象企業として同業界、同産業で転換点で同じ機会があったが優良企業への飛躍が達成できなかった「直接比較対象企業」と偉大な実績に飛躍したものの短期間しか「持続できなかった比較対象企業の」二種類に分けた。
・三段階
調査対象企業の中にあるブラックボックスの内部調査をし、偉大な企業と比較対象企業で違いを見つけ出す。
・四段階
大量のデータというカオスから概念という整理をする。偉大な企業への変化の過程を三つの大きな段階(規律ある人材・規律ある考え・規律ある行動)を包括し弾み車として機能しているか。
《第二章》
キンバリー・クラークはダーウィン・E・スミスが選任されるまでの二十年の株式運用実績は市場平均より三六%低かったが、就任してから同社株の運用実績は市場平均の四.一倍になった。ダーウィンスミスは第五水準の指導者と呼ぶに相応しい理想の経営者の典型とした。第五水準の経営者は自尊心の対象を自分自身でなく、偉大な企業を作るという目標に向けられている。飛躍を達成した企業には全て第五水準の指導者が率いており、比較対象企業には第五水準の指導者がいない点で一貫していた。比較対象企業の四分の三は後継者が失敗する状況を作り出すか、力が弱い人物を後継者に選ぶ。何人かは群れの中で自分が一番大きな犬でなければ納得できない「最大の犬」症候群にかかっている。比較対象企業は「わたし」中心のスタイルに対して、偉大な企業は自分について語ろうとしない。第五水準のリーダーシップでは、不屈の精神、禁欲的なまでの決意によって、偉大な企業に飛躍させるために必要な点は何であれ実行する姿勢がある。偉大な企業のCEOのうち一一人中、一〇人は社内昇進であり比較対象企業は外部の人財を招聘した頻度が六倍も高い。偉大な企業は幸運を強調する。成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す。結果が悪かったときは鏡を見て自分に責任があると考える。
《第三章》
偉大な企業の飛躍をもたらした経営者はまずはじめに適切な人をバスに乗せ不適切な人をバスから降ろし、そのあとにどこに向かうべきかを決めている。
① 「何をすべきか」ではなく「誰を選ぶか」から始めれば環境の変化に対応しやすくなる。
② 適切な人たちがバスに乗っているなら動機付けの問題や管理の問題は無くなる。
③ 不適切な人たちばかりであれば正しい方向が分かっても偉大な企業にはなれない。
飛躍した企業が層の厚い強力な経営陣を築きあげているのに対して比較対象企業は一人の天才を一千人で支える方式をとっている場合が多い。エッカード・コーポレーションは「何をすべきか」を判断する点で、天才的だが、経営陣に適切な人材を集める能力が無かったため、そういった指導者が重荷になった。ニューコアは「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言を否定している。人材が最重要の資産ではなく、「適切」な人材こそがもっとも重要な資産であると述べている。
飛躍を達成した企業一一社のうち、六社は転換点の一〇年前から一九九八年までの間に一度もレイオフしていない。残りの四社も一回か二回しかしていない。冷酷ではなく、厳格になるための方法として左記がある。
① 企業が成長していくときの最大のボトルネックが適切な人々を採用し維持する能力である。
② 人が入れ替える必要があれば行動する。その行動はレイオフだけを指すのではなく、「四角い穴には四角い杭を、丸い穴には丸い杭を」という概念のもと、真面目で有能な人を業績が悪いからと解雇するのではなく、能力を発揮出来そうなポストに移すという行動である。
③ 最高の人材は最高の機会の追及にあて、最大の問題の解決にあてない。問題の部門を売却する決定を下した時、優秀な人たちを一緒に売り飛ばしてはいけない。
《第四章》
A&Pとクローガーの比較をする中で、A&Pは事業方式の確立を行った。安価な食品雑貨を大量に実用本位の店舗で販売を行っていたが、その中で二十世紀後半に世間が豊かになり、嗜好が変わったせいで縮小の一途を辿った。その中でクローガーが世間の動きを素早く察知出来たから生き残ったのではなく、「運が良かった」というものだった。ただ、外から見ると、それは意思決定の差であり、意思決定の全工程の中において物事を真摯に受け止め、厳しい現実を直視する姿勢を貫いている。比較対象企業では経営者が強い力で会社を引っ張る事で従業員が顔色や行動を気に掛けるようになり、社外の現実や自社に与える影響を気にしなくなる事が多かった。つまりカリスマ性は強みにもなるが、弱みにもなるという見方を検討する必要がある。
そうであれば、真実に目を傾ける社風を作る。従業員に動機付けは時間の無駄である。つまり適正人材がバスに乗れば良い。「自分の意見を言える機会」と「上司が意見を聞く機会」との間には天地の差がある。つまり真実に目を傾ける企業文化を作り上げる。
・答えではなく、質問をする。
・対話と論争を行い、強制はしない。
解剖を行い、非難はしない。
・赤旗の仕組みを作る。※赤旗:一学期に一回授業を止めて、自由に発言出来る権利
偉大な企業の経営陣は二面性を持っている。一方は決して目を反らすことなく厳しい現実を現実として受け入れている。一方では最後に必ず勝つという確信を持ち続けて厳しい現実はあっても、偉大な企業になって圧倒的な力を持つようになる目標を追求している。この二面性を「ストックデールの逆説」と呼ぶ。
《第五章》
世間には針鼠と狐型の二種類の人がいる。針鼠の人たちは愚かではなく、本質を深く見抜く力を持っている為、複雑さの奥にある基本的なパターンを把握できる。偉大な企業への飛躍を導いた経営者は程度の違いはあれども、全員が針鼠型である。
戦略の策定の基礎として三つの主要な側面を理解している、それを「三つの円」と呼ぶようになった。
① 自社が世界一になれる部分はどこか
② 経済的原動力になるのは何か
③ 情熱をもって取り組めるのは何か。
針鼠のもうひとつの概念として最高になれる部分を見つける事である。その場合、「能力の罠」にとらわれてはいけない。
《第六章》
ベンチャー企業が偉大な企業になる例は極めて少ないが、これは成長と成功への対応を間違えるかだ。規律を厳しくする中でしっかり枠組みの中で自由と規律の調整を考えるべきである。偉大な実績に飛躍した企業ははっきりとした制約のある一貫したシステムを構築しているが、このシステムの中で従業員に自由と責任を与えている。その際、責任を果たそうとする意思として「コッテージ・チーズを洗う」と表現するようになった。上記の様な規律の文化を築き上げるのは第四水準の強烈な力を発揮する経営者ではなく第五水準の指導者の持続性のある文化の作り方である。どんなチャンスや機会、困難があったとしても三つの円をしっかり守れた判断であれば飛びつく必要はないし乗り越えるべき壁である。やるべきリストではなく、飛躍に導く指導者は止めるべきリストの方が圧倒的に多い。
《第七章》
インターネットが普及するようになってこの世界でどうすれば来客一人当たりのキャッシュフローという指標に結びつけられるかという議論になっている。大事なのはインターネットという技術の革新を使ってどういう役割を果たしていくか、という問題をどう解決していくか、である。ジレットも技術の応用で先駆者になった。技術は適切に利用すれば業績の勢いの促進剤になるが、勢いを作り出すわけではない。そのポイントとして針鼠の概念の三つの円が重なる部分にあるかどうか、である。
《第八章》
飛躍の道は小さな努力の積み重ねによって開かれている。一歩一歩行動を積み重ね、決定を積み重ね、弾み車の回転を積み重ねていき、それらによってめざましい業績が持続するようになる。但し、外部と内部の反応は違ったものである。つまり転換点において名前など付けていた企業はいなかった。その積み重ねにおける目標に対する熱意や動機付けに対する時間などはかけなかった。経営者の判断において一貫性は大事でひとつ間違えると弾み車の勢いをとめてしまう事がある。
《第九章》
「ビジョナリーカンパニー」とは全く別の見方、調べ方として本社は記載している。本書はビジョナリーカンパニーの初期段階である。基本理念の維持の概念は永続する偉大な企業の特徴の中心になっている。「基本理念を維持し、進捗を促す」考え方を大切にすることである。ビジョナリーカンパニーの四つの基本的な概念は、以下のように要約できる。
① 時を告げるのではなく時計を作る。
② ANDの才能
③ 基本理念
④ 基本理念を維持し進捗を促す
これらを促す方法としてBHAGがある。これらを実行する為に「追加」し働きすぎるようになることではない。今の部分から力の無駄遣いがあるということを認識すべきである。意味のある人生を送らなければ偉大な人生にはならない。意味のある仕事をしていれば、この地上で過ごす身近な時間を有意義なものにしている満足がある。


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