ターニングポイント

ここがターニングポイントだったな、というのは3周回ったくらいで気が付く。

私にとってのターニングポイントは母の体調不良だった。夜中に救急車を呼び、病院の時間外外来で1人寒い中待っていたときの心細さは今でも覚えている。


本当は、それ以前から自分の調子が良くないな、という感覚があった。でも、ちょっと調子が悪い、なんとなく調子が悪い、という言語化できないことからずるずると惰性で日常を過ごしていた感じがある。

なんだかんだと身近な人にはアクシデントなど起こらないだろうというような油断があって、そのため、母の体調不良は私に思った以上の衝撃を残した。

まず、母の体調に配慮しなければならない。家事をこなし、定期的に母の様子を確認し、不安なようなら話に耳を傾ける。慣れない私にはこれが堪える。

さらにここで新型コロナウィルスの拡大により、生活環境が変わる。

この段階で、すでに心身に色々影響が出ていた。不眠、便通異常、自分でも自覚できる情緒不安定。でも、病気、と診断もされていないのに休むわけにもいかない。自分の生活状況としても、会社を辞めるとか、それまで続けていた仕事や作業を止める理由にはならない、と思っていた。

母が体調を崩し、精密検査を受け、経過観察をしていた頃、今度は父が体調を崩した。そのタイミングと同時期に身内の不幸があった。自分では行くも引くもできないイベントの多発に途方にくれながら、24時間1日とにかく早く経ってくれと願った。

両親の精密検査が終わり、病名もわかり、不幸に関する手続きが終わったので、ようやく自分の体調不良がなんとかできる目処が経って、近くの病院に行こうという気になった。

結論からいうと、もっと早く病院に行けば良かった。病院から出された薬を取っ替え引っ替えしながら2ヶ月近く過ごしたものの回復せず、総合病院で検査をして、手術、他科の診察を受けることになった。何より、気持ちが沈んでいた時期が長かったこともあり、ちょっとしたことで不安になったり、それが体の不調に出てきやすくなった。

ここまで書いていたことを自分で自覚できるようになるまで、時間がかかってしまった。また、他人に話すまでずいぶん時間がかかってしまった。両親に喋れるようになった頃、「なんでもっと早く言ってくれなかったのか」と言われた。私もそう思う、なんでもっと早く言わなかったんだろうと。

病院の寒い廊下で待っていた頃、病名のわからない状態でも普通に働いていた頃、終わりが見えず、最悪のことを考えていた頃。今はもう少し落ち着いてるよ、と教えてあげたい。

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