ポイントは歌じゃなくて歌い手    byビル・ジャーマン

Cancel culture. And what is not cancel culture. My humble nonpartisan apolitical take on a matter that is of concern to...

Posted by Bill German on Tuesday, April 16, 2024

 「ブラウン・シュガー」にBLM?
 ストーンズのツアー開始を目前に、バンドを見つめ続けて半世紀の作家ビル・ジャーマンくんが4月初旬にアップしていた長文記事。改めてFBで紹介してくれています。
https://www.facebook.com/photo?fbid=8285326174827243&set=a.652964838063453

なので、本人の了承を得て訳しました。久保田がnoteにアップする初めての記事となります。
 実はこの見解、2021年ディッセンバーの時点ですでにざっくり私に語っていてくれました。そして余談ながら、私もガラケー・ユーザーです。
 なお、フェイスブック上におけるビルの“サムズアップ(いいね)”は必ずしも賛同を意味するものではなく、読んだということだそうです。

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It's The Singer, Not The Song
WRITTEN BY: BILL GERMAN
CREATED: 06 APRIL 2024

ポイントは歌じゃなくて歌い手
2024年4月6日
ビル・ジャーマン

キャンセルカルチャー、こわっ、と思ってる。発信元が右であろうと左であろうとだ(どっちもどっちだし)。本へのボイコット、歌へのボイコット、そういうのに対して、僕は黙っていられない。消費者としてのみならず、作家としてもである。

そんなこんなで、「ブラウン・シュガー」騒動をずっと追ってきた。今月2024年4月28日にローリング・ストーンズのツアーがヒューストンで火蓋を切る時、何が起こるのか(あるいは起こらないのか)興味津々だ。

ファンならご存じのように、名曲「ブラウン・シュガー」をストーンズは2019年以来、人前で演奏していない。それゆえにやきもきしている人たちが、どうやら多いようだ。もしや、ポリコレ意識高い系のWOKE層に屈したか、はたまた自主規制か。「黒人奴隷を蔑む歌詞がそんなに問題なら、リトル・リチャードやティナ・ターナーがカバーするわけがない」的な発言も散見する。

ご多分に漏れず、僕も「ブラウン・シュガー」をロック史きってのパーティ・ソングだと捉えている。ストーンズが半世紀にわたって、コンサートのクライマックスでプレイしてきたのがその証しだ。それがいきなりセットリストから消えたんだから、それはもう寂しい。

ただ、なぜ消えたかについては、僕なりの見解がある。そして、本質を見逃している人もなかにはいるんじゃないかとも思っている。確かに、ちまたでは各種スポーツチームの改名や各種広場の銅像撤去が余儀なくされてはいるが、そういう現象に対する賛否は置いといて、それと「ブラウン・シュガー」の一件とは別物なんじゃないだろうか。

ここで改めて事実関係をちょっと整理してみよう。

まず、「ブラウン・シュガー」に対する本格的な反対運動があったというエビデンスは存在しない。つまり、目立ったピケも訴訟も広告看板に対する損傷もなかったはずだ。反面、1978年には、ジェシー・ジャクソン牧師率いる団体が、ロックフェラー・プラザにあるストーンズの事務所前でピケを張って「サム・ガールズ」の歌詞に抗議した。また、1976年にはアルバム『ブラック・アンド・ブルー』の看板に「これは女性に対する犯罪だ」という落書きが登場した(文末のリンク先にある写真参照)。

一方で「ブラウン・シュガー」に対しては、業界からの風当たりが強いわけではない(「夜をぶっとばせ」の歌詞を変えさせたエド・サリヴァンみたいな人はいないし)。どこかの政府が横槍を入れたわけでもない(2006年上海公演で中華人民共和国文化部がセットリストから定番5曲を削除させて、なぜか「ビースト・オブ・バーデン」まで演奏を許されなかった時とは違う)。

もしも上記に誤りがあれば、ぜひとも一筆(証拠写真を添えて)ご連絡いただきたい。例えば、実はピケがあったのであれば、先述のくだりを即行訂正しよう。僕の人生における目標は、論破や不毛な議論ではなく、状況を観察してそこから真実を見出すことなのだ。とにかく、組織的な反「ブラウン・シュガー」運動が実在していたとしたら、みんなも今頃気づいていたはずだと言いたいだけ。

もちろん、ストーンズが2019年のツアーに船出する直前に、シカゴ・トリビューン紙が社説で同曲に苦言を呈したのは知っている。なんなら、リンクを貼ろう

だが、社説1本でムーヴメントが起こるとは限らず、この場合も、とりたててバズることなく、ストーンズは2019年の全公演で「ブラウン・シュガー」をプレイし続けた。


だから、そろそろ認めようよ、と自分を含めた全ストーンズ・ファンに僕は提言する。ストーンズが(2020年と2023年はツアーがなかったが)2021~2022年のセットリストから同曲を削除した理由は、結局わからずじまいだよね、と。ミック・ジャガーだっていまだに詳述はしていない(確かに、95年のインタビューでは自ら書いたその歌詞に懸念を示したが、そんなのは今のWOKE現象が世間を席巻する遙か昔の話だ)。それに、キース・リチャーズも2021年にロサンゼルスタイムズ紙のインタビューで語ったところによると、同曲をまったく問題視していないそうだし、早い段階で「復活」させたいとまで明言した。

で、キースがそこまでハッキリ言うからには(そしてミックがそこまでハッキリ言わないからには)、僕がこれから述べようとする見解もあながち外れてはいまい。なんてったって、あのヒットソングを共作したコンビを、僕は文字どおり間近に見てきたのだ(少なくとも1989年のスティール・ホイールズ・ツアー以来ずっと、彼らが演奏曲目選びでモメにモメてきたのを知っている)。

というわけで、以下が見解だ。「ブラウン・シュガー」をセットリストから削除しようと決めたのは、ひとえに、ストーンズのリード・シンガーであり、そうさせたのは世論の圧力よりも何よりも、本人の私生活なのだと僕は頑なに信じている。

だって、ジャガー/リチャーズのうちで、アフリカ系アメリカ人の娘がいるほうといえばミックでしょ? 現在53歳のカリスは、自身も子供2人の母親だよ? ミックが“女ら相手にアイツは快調、鞭声響く夜半過ぎ”みたいな歌詞と向き合うたびに「ウッ」てなるのがそんなに想像しにくい?

スポーツ界ではこれを「イップス」と呼ぶ。雑念がプレイヤーの頭をよぎって、初歩的なヘマをしでかす現象だ。スティーヴ・サックス選手に悪送球病をもたらし、おそらくはシャキール・オニール選手がフリースローが苦手だった所以だ。そのイップスがついに、「ブラウン・シュガー」を通じてミック・ジャガーにも忍び寄ったのだと僕は考えている。“黄金海岸の奴隷船”で運ばれ、“ニューオーリンズの市場で売られ”て、例の鞭の犠牲になってしまった“黒人娘”は、まさしく自分の血を分けた愛娘カリスの先祖だと実感してしまったのだ。

ちなみにミックは、ひとたびステージに上がると、さまざまな役に成りきる。それが彼のブランド・イメージだ。「悪魔を憐れむ歌」を悪魔のような装いで歌うのは有名だし、「スターファッカー」で巨大なペニス型バルーンに跨がったこともあるし(75年)、「ストリート・ファイティング・マン」では犬型バルーンに喧嘩を売った(90年)。そして「ブラウン・シュガー」を歌い続けた50年間で“傷跡のある奴隷商人”そのものを演じたことはないとはいえ、曲の演奏中に卑猥で乱暴で性的な空気を醸し出していたのは確かだ。それこそがストーンズの売りでもあるんだから、どうか廃れないでいただきたいし、そうやってミックは夜な夜な、大観衆を煽っては、会場を揺るがす承認と祝賀の「Yeah! Yeah! Woo!」を受けとめてきた。

ただ、そんなミックも80歳になり、ひょっとしたら、ひょっとしたらだけどね、孫子の目線(はてはひ孫の目線!)で持ち歌を振り返る機会が増え、歌詞から想起し得る痛ましい情景に着目する回数も増し、「ブラウン・シュガー」という大宴会を司る身として、そこに違和感を覚えるようになったということはないだろうか。

やっぱり、巨大なスタジアムに集まる何万という人の中でも、あの歌詞をマイクに向かって拡声させる責任を負うのは、僕でも君でもキースですらなくてミックなわけで、その過程で彼は、みんなが燃える狂乱にピシッと突入できるよう、誰かが味わう苦悩を伝え続けてきたわけだ(いくら“奴隷商人”や“下男”が“快調”だとしても、その陰でいろんなことが起きてるし)。

一方で僕たち観客の務めは、コンサートを楽しむことだけだ。1000ドルだの5000万ドルだのを払ってまで、歴史のお浚いに耳を傾けたくはないし、目的はビールを飲んでサティスファクションを得ることであって、50年以上前の歌詞を分析するためではない。たとえ自分でストーンズのコンサートやカラオケで「ブラウン・シュガー」を歌うとしても、機械的に言葉を並べれば済むし、いちいち英文解釈などしない。

その点はキースも同じだ。ステージ上で彼の務めは基本的に“ヒューマン・リフ”であり続けること。むしろ永遠にそうやって、人間丸ごとリフ状態であり続けてもらわないと僕たちは困る。男気と気骨を振りまき、欲しいままに喝采を浴びるキース。ロックンロールは首から下がポイントなんだと、本人だっていつも言っている。

現にキースは例の2021年LAタイムズの記事で、同曲が奴隷制を甘く見ているどころか、そのおぞましさに焦点を当てているのだと主張した。はたしてコンビが、作曲時点でそこまで意図していたのかどうかは疑問だが、キースの論を受けて、ふと思ったことがある。仮に「ブラウン・シュガー」が、あんなにエログロなロック・ナンバーなどではなく、神妙なフォーク・バラードやプロテスト・ソングとして演奏されていたとしたらどうだろう。

脳内お花畑になってるつもりはない。例えばこんな情景を想像してみよう。ジョーン・バエズがニューポートかどこかでスツールに腰かけて「ブラウン・シュガー」のカバーを、「オールド・ディキシー・ダウン」と同様に歌う。おそらく観客は「Yeah! Yeah! Woo!」の雄叫びをあげないだろうし、シカゴ・トリビューンだって社説で取り上げたりはしないのではないか。

言い換えれば、ミックにとって「ブラウン・シュガー」の問題点は認知的不協和、いわばジレンマだ。ジャガーならではの大胆不敵さで会場中の歓喜を引き出しながら、歌う内容は人的被害なのだから。(参考までに、ディランもロック調の「ブラウン・シュガー」を2002年のソロ・ツアーでカバーし続けたが“女ら相手にアイツは快調、鞭声響く”の歌詞は省いているし、当然、ジャガー流の振付などはなかった。)

とにかく、理由が何であれ、ミックに実質的な共同所有権がある曲を、ミックが歌わないのは立派な権利だ。そして権利といえば、僕たちにだって、ミックが出演するコンサートに行かない権利も、彼のバンドの商品をボイコットする権利もある。ちなみに僕は、「ブラウン・シュガー」をナマでたくさん聴いちゃったし、その演奏風景をまた観たくてたまらない一方で、ストーンズがその代わりに「魔王のお城」とか「タード・オン・ザ・ラン」とかをやってくれても悪くないと思っている。(言っとくけど、現に、この半世紀を見渡すと、特に1978年なんかには、ストーンズがセトリから「サティスファクション」「悪魔を憐れむ歌」「無情の世界」「ストリート・ファイティング・マン」のすべてを外した公演が複数あったしね。)

もちろん、ミックが外部からの影響を一切受けずに完全に独断で削除を決めたのだと言う気はさらさらない。当然ながら、曲に限らず、本だって映画だって、その時々で思潮によって再評価されていくものだと心得ている。ジョージ・フロイドなどなどに端を発した2020年の社会現象が、ミックの判断材料になったのではないかと問われれば、それも大いにあり得るだろう。けれども、ミック本人が言及しない限りは、確実にそうだとは言いきれないわけだ。

あるいは、いわゆる“沿岸エリート”のお友達がそのリベラル思想を、オシャレなカクテル・パーティでミックの耳に入れた可能性だってある。ただ、仮にそうだとして、具体的にどういう流れになるのだろう。バーブラ・ストライサンドやエルトン・ジョンが、ミック・ジャガーの選曲を左右するものなのだろうか。エルトンたちの選曲もミックに左右されるということ? 僕に言わせれば、かなり疑わしい。

あくまでも可能性のひとつとして、ミックの考え方に影響を与え得る人物を強いて挙げるなら、それはせいぜいカリス自身(もしくはその異母兄弟姉妹)くらいだろう。愛するお父さんに対して、そのあとに続く5万人の大観衆が夜な夜な盛り上がる原因となっている曲は、カリスの先祖が奴隷使いから受けるむごたらしい性的暴行を描いているのだと、改めてリマインドしたということも、なきにしもあらずだ。

ついでに言うと、チャック・ラヴェールが意見したという可能性もゼロではない。キーボーディストとしてストーンズに参加しているチャックは、バンドのセットリストを監修する役目も担っているうえに、住んでいるのはジョージア州トゥイッグス郡の農園だ。南北戦争の前には膨大な人数の奴隷が労働に従事したそんな地域にいれば、どうしてもそういうことについて考える機会が増えるかもしれない。

いずれにしても、こういうのはあくまでも僕のつたない見解に過ぎない。それより、ここが最重要ポイントなんだけど、ミック・ジャガーを含むこの世のなんぴとたりとも、爆音「ブラウン・シュガー」を聴く手段として禁じていないし、禁じるべきですらないのが、自宅のステレオやウォークマン(だって僕、まだガラケー・ユーザーだし!)。ほかにも聴けるところは山ほどある。YouTubeに、Spotifyに、ラジオ。ストーンズのリイシュー盤やライヴ音源から剥奪する動きもないし、最新公式リリースとして2002年のストーンズLA公演を収録した『ザ・ローリング・ストーンズ / ライヴ・アット・ザ・ウィルターン』にもしっかり入ってる。

もはやこれは、誰も「ブラウン・シュガー」をキャンセルしようとしているわけじゃなく、単にミックが歌いたくないだけだという証明だ。その判断を、僕たちも尊重しないといけない。(というわけで、著書『アンダー・ゼア・サム』を読んでくれた人なら、僕が滅多にあの歌い手さんに“シンパシー”を示さないのはご存じのとおりかと思うが、ここでは共感しているのだ。)

だから、カッカするのはやめようよ。どのみち、4月28日になればハッキリする。かも(歌詞を微調整して登場とかね)。それに、あれだけ長くストーンズに関わってきて、いろいろと勉強になったけど、これだけは言える。あの人たち、一般人から指図されるの、嫌うんだ。

(訳:久保田祐子)

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原文は以下のビル・ジャーマン公式サイトで。各種引用元にもジャンプできます。


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