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【完乗への道】(1)65歳までに日本の鉄道を制覇したい


65歳までに日本の鉄道を乗り尽くそう

4月下旬のこと、3月までにみな還暦を迎えたということで中高の同窓会があり、近況報告の中で「65歳までに日本の鉄道を完乗したい」という話をした。
これまでも自分の中では「日本の鉄道完乗」はめざしていたし、家族などにも話していたものの、明確に目標期限を切ったのは初めてのことだった。

鉄道旅を始めて国鉄完乗を志す

ものごころついた頃から鉄道好きで、中学生のときにはもうひとりで鉄道の旅をするようになった。だから、中学、高校、大学と進むにつれ、当時の国鉄の7割程度は乗車していたと思う。この頃は、北海道、東北、北陸、南紀、山陰、四国、九州といった地域全体で在来線の特急自由席含めて乗り放題となるワイド周遊券というきっぷがあり、有効期間も短いもので7日、北海道や九州では20日間もあり、さらには学割もあったので、学生にとっては長期間の休みにこれで旅行することが当たり前のようにできた。乗り降り自由となる地域までの往復は急行の自由席しか乗れなかったが、当時は夜行の座席急行がたくさん走っていたので、新幹線や特急に乗れなくても困ることなく長距離移動できた。
作家の宮脇俊三氏の「時刻表二万キロ」や、レイルウェイライターの種村直樹氏のさまざまな著作によって、世の中でも「完乗」というのが少しずつ認知されてきて、そのうちに国鉄自身が「いい旅チャレンジ20000キロ」というキャンペーンを始めた。このキャンペーンが始まった時には、すでに6-7割乗っていたので、今さらと思いこのキャンペーンには参加しなかったけれど、「国鉄完乗」というのがひとつの目標になっていたのは確かだ。

完乗にこだわらなくなった事件

けれども転機が訪れる。大学時代の夏休みに訪れた北海道の今は廃線となっている富内線の終着日高町駅に、帯広からの国鉄バスで着き、そこから富内線に初乗車の予定だったのだが、日高町駅周辺の風景がとても気に入って、列車の発車風景を見たくなったのだ。
私は発車する列車がよく見える場所で、列車を見送った。

富内線日高町駅(1986年)
日高町駅を発車した富内線の列車(1986年)

それまでの私は鉄道に乗ることが主で、もちろん適度に観光はしていたけれど、とにかく乗ることを優先していたのだが、このとき初めて予定していた列車、路線に乗ることの優先順位を落としたのだった。

次の列車に乗ればいいと思うかもしれないが、実はこの日は北海道旅行を終えて帰る日で、千歳空港からの飛行機を予約済みだった。今と違ってネットなどない頃だから、もちろん発券済み。この列車に乗らないと予定のルートではフライトに間に合わない。飛行機に間に合わせるためには、富内線を諦め、日高町から再度バスに乗り、千歳空港へ直行する特急が停まる石勝線の駅に出るしかなかったのである。しかも、富内線はこの年の秋に廃線となることが決まっていた。いくら周遊券があるとはいえ、再度北海道を訪問することは時間的にも金銭的にも考えられなかった。

こうして、富内線は未乗のままに廃線となり、これを堺として私は完乗よりも鉄道の旅を楽しむことを重視するようになった。

飛行機中心の旅のスタイルへ

就職、結婚、子育てなど次々と環境が変わる中で、鉄道の旅自体が希薄化した90年代。飛行機の運賃自由化で遠方に行くには飛行機利用が当たり前になってた2000年以降は、仕事で海外へ行くことが増えたこともあり、航空会社の溜まったマイレージをもっぱら国内の特典航空券に換えて消化していた。正直、一時期毎月のように特典航空券を使える状況だった。

こんな状況では、旅のスタイルは、飛行機+レンタカーというのが最も合理的。仕事も一番忙しかった時期だったこともあり、学生の頃のように長く旅行はできず、1泊2日か日帰り旅が基本だった。正直鉄道で出かけている場合ではなかった。ちなみに、日帰り旅は、金沢や関西、岡山などは当然として、北海道や九州、時には沖縄まで行って帰ってくることもあったほど。

日帰りで見に行った竹富島の種子取祭(2005年)

再度完乗をめざすことに

東日本大震災あたりから仕事が国内メインになったこともあり、マイレージで旅するという前提はだいぶなくなった。ちょうどその頃、勤続25周年のリフレッシュ休暇を10日間取ることとなり、パートナーは仕事を休めないというので、せっかくのまとまった休みだしということで鉄道の旅をすることにした。これが2度目の転機だ。
北陸、四国を中心に鉄道を使って旅をした。北陸と四国には私鉄が結構走っており、この時、JRとともにこれらの地域の私鉄を全部乗る計画を立てた。北陸は事情があり一部残してしまったが、四国はJR、私鉄ともに完乗することができたのが、もう一度日本の鉄道全線完乗をめざしてみようと思うことにつながった。

以来、首都圏の私鉄(民鉄)で乗り残しているところをコツコツと週末に乗りに行き始めた。
ちなみに、鉄道業界ではJR以外の鉄道は公営も含めて民鉄と呼ぶ。各種統計などでもこの分類になっていることが多く、完乗に向けた管理上はJRと民鉄に分類することにしている。

現在の完乗旅のスタイル

それから約10年。当初は60歳までにと思ってたこともあったが、いまさらただ乗るのは面白くないので、自分なりに追加のルールを科すことにした。絶対的ルールということではないものの、極力途中駅などで降り、街歩きや観光をする、ということである。
このルールは、それぞれの地域をよりしっかり見たい、感じたいということでもあるし、しっかり記憶にも残したいということでもある。
ただこれによって、乗ることだけを優先とする旅の計画は作れななった。特にローカル線などでは、一度降りたら次の列車まで長く待つことも多くな利、1日にいくつもの路線を回るのは難しくなる。
先にも書いた通り絶対ではないし、特に都市部は降りても面白みが少ないことも多いので、無理はしないようにしている。

前置きがだいぶ長くなったが、日本の鉄道完乗に向けた現時点の達成率は、JRが約98%、民鉄が約87%。残りの距離にして、JRは400km弱、民鉄は1,400km弱である。
なんだそれだけか、と思うかもしれないが、路線数では合計でまだ90もある。幸い、北海道、東北は終わっていて、残りは関東から西のエリア。特に中京圏、関西圏に集中しているが、中国地方、九州・沖縄にも残っている。じっくり向き合うとまだそれなりに回数、日数もかかると思われる。
これまでの経緯も少しずつ振り返りながら、今後の完乗への道・旅を記録していく。



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