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日記_77

「内的世界と外的世界を一致させる」という言葉を設定してから少し世界を見る視点がズレたような気がする。一致させたいということはズレを探しているはずで、それを察知する感覚が意識レベルに上がってきた感じ。

この言葉がしっくりきているかというと、実はいまだに半々。「一致」の響きにはどこか神経質さや緻密さを感じるし、その繊細さはこれまでの自己像と一致しない。
あるべき場所に、あるべきものを戻す。
寝る前にデスクの上を片付け、リュックを固定の場所に置き、延長コードを枕元に引っ張り、毛布の位置を直してから就寝する自分を斜め上から見ていると、これを気持ちいいと思っていいの?と旧タイプの自分がうろたえているのがわかる。どこで捻れたんだっけ。

小学生のころ「男の子のようなもの」を進んで身につけていた記憶がある。ピンクよりもブルー。スカートよりもパンツ。丁寧で繊細なコミュニケーションよりも、ガサツでおおらかなコミュニケーション。かなりジェンダーバイアスがかかった考え方だが、実際そう思っていた。
その行為は女の子らしさへの抵抗もあっただろうけど、男の子っぽい方が生きやすいという気持ちの方が強かった気がする。言い返しやすいし、気にしていない振りもしやすい。もしかしたら自分を守るために身につけた処世術だったか。では守られる側の自分はどこにいたんだろう。

守られる側の自分を思い浮かべて出てくるのはキティーちゃんの赤いお道具箱。(私は「たいせつなものいれ」と呼んでいた)

何に使うでもない綺麗な模様のハギレや小さな小瓶に入ったビーズ、色とりどりの刺繍糸、拾ってきたすべすべの石などをこの「たいせつなものいれ」にコレクションしていた。
そういえば、この「たいせつなものいれ」の中には飲食店に置いてあるかわいい角砂糖(立方体ではなくゴツゴツした粒の大きいものを好んだ)や母親が混ぜご飯用に買っていたゆかり(袋ごとだとバレるのでティッシュに包んでいた)も入れていた記憶がある。

この食糧をいつ使うかというと、地球が滅ぶとき。非常食としての角砂糖とゆかり。ちゃんと腐らないものをチョイスしているのがリアルでおもしろい。たまに親がいない時に取り出しては、椅子と毛布で作ったテントの中でちょっとだけ齧ったり舐めたりしていた。

当時の私にとっての「たいせつなもの」はきれいなもの、かわいいもの、手触りのいいもの、危機を回避できるものだったらしい。あの少女が今の自分の行動をしているなら納得感があるな。うーん、なんとなく一致する気配がしてきた。


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