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日記_26

タイムラインにこんな投稿が流れてきた。

これ、飲食店側の人は結構共感するところじゃないかなあ。
そもそもお店にとってリピーターになって欲しい人=お店の世界観が崩れない人。お酒と食事を一緒に楽しんでほしい、というスタンスのお店であれば現状ノンアルコールの人はコア顧客にはなりづらいと思う。

もちろん誰でも気兼ねなくいられる形は考えた方が良くて(楽しめるお客さんが増えるのはどちらにとっても良いこと)、ただ、そこに時間や手間、コストをかけるだけの余力が個人店にないのが現状ではないだろうか。

飲食店の生の声を聞いて悲しい気持ちになる人がいるのは容易に想像できる。でもお店にも余裕がない。こういう時に資本を持つ会社や別業界の余白でケアできたら良いのに、と思った。隣の人に手を差し伸べるだけの余裕がないのはかなしい。


ちょっと寄り道しながらノンアルの人が行きたい店に行ける方法を考えてみる。

実体験として、アルコール/ノンアルコール以外に"飲めるお酒の種類"も通えるお店の境界を作るような気がしている。
クラフトビール・ワイン・日本酒などお酒の種類が特化している店舗は特に「こなれている」「かっこいい」立ち振る舞いに違いがある印象がある。

(ここからは私のイメージ)

ワインはボトルで頼んだ方が、日本酒は和らぎ水を飲みながら酔いすぎずに楽しんでいる人の方が粋な印象。立石では店員さんと息を合わせて注文できる人がかっこいいし、居酒屋は細かいことをぶつぶつ言わないほうが素敵だ。
これらは文化の違いで、合わないからと自分の快適さを求めるのは無粋。でも歓迎されていないという境界を作ることにおいては、ノンアル問題ほど深刻ではないものの、近いものを感じる。

かくいう私も元々飯至上主義で、恥ずかしながら「頼みたいものを頼めばいい、だってお客さんなんだから」と思っていたころがある。
そのころは"招かざる客層"を持つ店を見てややこしいなあ、怒られたくないなあ、と感じていたが、飲食好きの夫や友人について回るうちに「ああ、これは店主と客が一緒に世界観を維持するための約束なんだ」と考えるようになった。約束には店主の思想が現れる。

そこからはその店が大事にしたいもの(食べ物、飲み物、雰囲気、会話の音量など)ってなんだろうなと考えたり、お店の人に注文を委ねるのが楽しくなった。過去「お店を最大限楽しみたいので、注文をお任せしたいです」と伝えて嫌な顔をされたことがない。気持ちよくこの世界を楽しむためのマナーとして、お店と約束を交わすのは悪い気分ではない。

大学の教授が「良い舞台は、良い演者だけではできない。良い観客が揃わないと良い舞台にはならないんだよ」と言っていたのをまた思い出す。


店主と客で世界観を維持するのを目的とすると、ノンアル問題の妥協点も見えてくるのかも?「店との約束を守れる友人・知人と一緒に行く」というのはどうだろう。

約束を確認する時にも、約束が守られた状態でお店を楽しむのにも、誰かに同行してもらう。1人で気ままに入れない不便さはあるかもしれないが、それを押し通すと店に負担がかかる。世界観を維持するために誰かを連れていけば、そこまで悪い気はしないんじゃないかな。どうでしょう。

飲食店(ワインを出す店だった)の店頭に立っていた頃は、店に合いそうな人を連れてきてくれるお客さんが好きだった。自分たちが大事にしているものを大事にしてくれる人だと認識できたから。

どちらも相手を思って行動できる状態が一番だと思う。相手が何を考えているかわからないから、ルールと自分の考えを戦わせることになるんじゃないか。

「知人と一緒に行く」はあくまでも一例で。
商品としての最適解がない今、店と客の対話や想像力で二者の間にある溝を埋めていく必要があるんじゃないかしら。だって飲食楽しいもん。運営側もお客さんもひっくるめて、みんなで楽しみたいじゃない。


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