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日記_97

草生えどきと草枯れどきは人の心が荒むと言いますが、春めいてきてSOSが増えてきた感覚がありますね。この季節によく召喚されるので、私の旬は春と秋。私が元気なら相談に乗れる人が増えるので、健康第一。

友人と話しながら自分の赤面症だったころと、泣きたくないのに涙が溢れてきたころのことを思い出した。

舞台ではなんてことないのに、まだ言語化できていないものを外に出そうとすると顔に血が登って涙が出た。焦れば焦るほど症状は止まらないし、思ったように話せない。ああ、こんなはずじゃなかったのに。

思い返すとあの時の私はもろくて分厚い鎧を纏っていて、それを破られるのが何より怖かったんだと思う。人にがっかりされないことの優先度がすごく高かった。勝手にありもしない期待と気質に合っていない理想像を背負っていて、きっとすごくプライドが高かったんだと思う。

別に学歴が高いわけでも、何かで認められたわけでもないのにエリートだと思いたかったというか、自分はできるはず、と思ってたんだよな。悪い自分への期待の使い方。

はじめにプライドがバラバラになったのは新卒で入った会社。どれだけ繕ってもできてないものはできてないし、社会に出ると急に誤魔化しが効かなくなった。そこそこ小賢しい子どもだった(大人に気に入られるのが得意だった)から、何度も折られて本当に良く泣いた。

恥ずかしいなんて言っていられない、必死で過ごす時期は人間のキャパを広げてくれる。ちょっと脳筋の気があるので、みんな社会人2年目ぐらいまでは接客業(できれば小売か飲食)をしたらいいのに、と思う。
あのマルチタスクとアンテナの張り方、時間に追われ、しっかりお客さんにも先輩にも怒られる環境は今思い返すと宝だった。

さらにプライドが砕かれたのは今の会社に入ってから。
突然自己開示をする機会が多くなり、誤魔化していたことを言語化せざるを得なくなった。
1年目はコミュニティ内のメンターに月1回相談をして(1回あたり軽く2-3時間かかっていた)、これも序盤よく泣いていた。デキる人間でいたかったのに、弱くてできない自分を認めるしかなかったのは苦しかったなあ。

でも何度も言葉にすると液体のような何かが輪郭を持っていく感じがした。自分の形がなんとなく見えるようになってからは、赤面することも涙が出ることもなった。

慣れたのか鈍くなったのか、作品を見て涙が出るような感受性はもう少し持ちたいと思うけど、繊細な自分のご機嫌をとりながら生きられるようになったと思う。
適性診断によると私は内側と外側の性質が離れていて、両方の自分のバランスを取るのが結構大変。見せる顔が違うから切るカードが違う。一人秘密基地で遊ぶ時間も必要だし、飛び回ってたくさん人と話して働く時間も必要。

最近のことを話してくれる友人を見ながら、あの頃の自分を応援しているような気持ちになった。約40年でやっと大人のスタートライン。やっぱり130歳ぐらいまで死ねないね。

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