娯楽禁止されてたけどオタクになった話

香川県のゲーム利用時間を制限する条例案の件で色々思うところがあるのですが、書き留める場所が他に思い付かなかったので。

Twitter界隈で「ゲーム禁止すると逆にオタクになる」説、真偽のほどはどうか知らんけど(そもそも言ってる面子がオタクばかりなので割合的に世間からズレてる可能性が高い)、実際に漫画・ゲーム・アニメ禁止されてたけど結局オタクというか腐女子になってしまったという一例です。 思い出せる範囲で書いてみる。
以下敬称略です。時系列前後してる部分もあるので読み辛くてすまない。

ちなみに例外的にOKだったもの
漫画:萩尾望都(母が好きだから)
アニメ:忍たま乱太郎
それ以外のテレビはNHKのニュースとドキュメント、なぜかMステはOKだったという謎
アンパンマン、ドラえもん、ポケモンは家で見たことないです。


幼少期
アンパンマンは物心ついた頃には禁止だった。理由はうちの親が嫌いだからって言う。知らんがな。
ちょうどセーラームーンが流行ってた世代。地元のドラッグストア(チェーンではなさそうな店)とかでもセラムンの塗り絵やメモ帳、食玩、紙製の着せ替えが売られていた。小学校入る前は保育所に行っていた年長の歳以外は祖父母宅に預けられてたのだが、祖父母にはそういったものを買ってもらっていた。
ただ、買ってもらったピンズを着ていたセーターにつけたまま家に帰ってしまい、親にこっぴどく叱られた。理由は覚えていないが理不尽だと思ったことは覚えている。
その後、祖父母宅に置いてあったセーラームーンの食玩等はまとめて捨てられた。あと覚えているのは「持っていてはいけないものなんだ」と思って捨てられるのを免れたものについても祖母に捨ててもらうよう頼んだ。
今見てもセーラームーンは可愛いので女児的に興味を持つのは致し方ないような気がするんだが、禁止の理由が女性の嫉妬感情が描かれているから、だったと思う(だいぶめちゃくちゃな論理だよな)。

小学生
ポケモン世代。周りはだいたいポケモンのアニメ見てたし、ゲームボーイで遊んでたのではないかと思われる。ポケモンはモンスターだから駄目、という理由で我が家では禁止だった。
当然ゲームは買ってもらえないし、そもそも買ってほしいと言い出す勇気すらなかった。いや、当時は「ゲームに興味がない」と思い込もうとしてた節があるのだが、今思うと同級生の家に行ってゲームで遊ばせてもらってた以上、興味がなかった訳がない。セーラームーンのゲームとかポケモンとかマリオカートとかはその時にやらせてもらったりしたのだが、今思うと迷惑なやつだったのでは……と青くなる。
小学校ではポケモンごっこも流行っており、分からないなりに仲間になろうとするのだが遊んでいない以上、本当に分からないので割と無理していたし、親は友達から仲間外れにされては可哀想だという発想は欠片もない人達だった。とはいえ小学校のうちは休み時間はドッチボールしてる派というアクティブな感じだったのでそのあたりは何とか乗り切って……ないな。
あとは歳の近い再従兄がポケモンの金銀をクリスマスに買ってもらおうとしたらあちこちで品切れしてて再従兄の親が探し回ってるというのを見ながら私の親はくだらないという感じの態度だった。
分からないものが多過ぎると、そのうち辛うじて知ってるものについてもどうせ知らないだろうからと聞かれなくなった感じがする。
ちなみに小2の運動会で小道具としてポケモンのお面を作ろう!みたいなのかあったがそれを親に話したら学校に文句言ってたような気がするので今思うと本当にヤバい。モンペだわ。
りぼん、なかよし、ちゃおといった小学生女児が読んでいるような漫画雑誌も買ってもらえず歯医者に行った時に待合室にあったのを読んでた。
児童書やジュニア新書は買ってもらえたのでまあまあ読んだ。


中学生
やっぱり漫画・アニメ・ゲーム禁止。
中1のときに萩尾望都の『Marginal』を読んだのがきっかけで貯めてたお小遣いで当時出てた小学館文庫の萩尾作品を揃えるものの勉強しないからという理由で隠される(見つけてこっそり読んだりしてた)。ちなみに成績は中学では良い方だった。
そうこうするうちに表向きは隠されたままになってしまったのだが、中2~3にかけてアニメ『十二国記』やコバルト文庫と出会う。十二国記は夜中にテレビにイヤホン繋いでこっそり見てた。コバルト文庫はたまたま中学の図書室に目録があり(恐らく司書パートさんが取り寄せた集英社の目録に同封されていたのだと思り)、見てみたら今まで自分が知らなかった世界が広がっていた。『四龍島』シリーズが既刊20冊以上あったにも拘わらずどうしても読みたくて毎月のお小遣いで買える冊数(3冊ずつ)を買って集めた。そこからついでに腐った。
高校は中学でいじめに遭っていたのもあり、地元には行きたくなかったので隣の県の私立に行った(偏差値まあまあの学校だったので親には反対されなかった)。


高校
友達から漫画を借りるようになる。高校生になってやっとジャンプが週刊少年誌であることを知る。D灰とか銀魂とかハガレン、デスノは読んだ。
なぜか漫研に入る。そのこと自体については特に何も言われなかったものの、後々ネチネチと親から「高校の頃は絵を描くことしか考えてなかったよね」と言われる。いや、本当にそうだったらもうちょっとあれこれ上達してたわ。
高3の時にこっそり持っていた漫画と小説がバレる。「ラノベなんか読んでるから頭が腐った」などと言われた。とても理不尽である。高校の文化祭の古本市に出すという形で処分するように言われ、泣く泣く従ったと思いきや図書館の司書様に預かっていただくという大変迷惑な荒技に出た。その節はありがとうございました、本当に感謝していますし、反省しています……。数年後ちゃんと回収に行きました。おかげで四龍島や天使禁猟区は手元にある。
大学は親から国力の理系に行けと言われていたいたものの、成績は足りないし、モチベーションもなく都内私立の文学部に進学。興味があったのは元々文学や歴史方向だったので、そこは結果オーライである。うちの父親に「お前みたいな単純で悩みがない人間に文学は無理」と言われて理系ということにしてたものの、その分をもっと文系で頑張れたら大学のレベルは違ってたかもしれないという点は後悔が残る。


大学~大学院
面倒なので割愛するが漫画・小説はまた増えました。通学に都内のターミナル駅使ってたので本屋にはまあまあ寄れた。山藍紫姫子作品も読んだりする。
とりあえず学部時点で就活で詰む。毒親という概念を知る。
自分が欲しいものを手に入れるには自分で稼がねばという気持ちとこのまま博士課程に進んでも人生詰むなと思い、修士より上には行かなかった。


就職してからは自分で稼いでるので何も言われなくなった。引っ越しにより自室を手に入れたので買い集めてた本をちゃんと本棚に入れたらそこそこの分量になってて、むしろ今までどうやって隠せてたんだろうと自分で遠い目になるなどした。

就職あたりから本格的に同人イベント行ったり薄い本買ったりするようになり、二次で薄い本出してみたりするなどしだす。オタクの本番は自分で稼ぎ出してからだ!!!
25歳過ぎてから初めて3DSを購入、今はSwitch購入目論見中。ただしゲームをプレイした経験の蓄積がないのでゲームを進めることそのものが下手な模様。

今思うと少しでも暴力的、性的な描写があるものはことごとく排除されてる環境だったのだが、それでもR-18読んだりするようになるし、性癖は拗らせたりするので、オタクになるやつは何をしてもオタクになるし腐女子になる。

博物館や美術館には連れて行ってもらえたけどレジャー施設には連れて行ってもらったことがない。博物館行くのは今でも好きなのでそこはまあ良いんですが。
あと高校生の時にこういうの読まないと、とその時点で20年以上前の新書渡された(新書とは……)けど読めって言われると逆に読みたくなくなるんですよね……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?