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曇天に映るもの


彼らはまばゆい光の中、舞い踊り、歌った。
誰もがどこかで聞いたことのある旋律、甘ったるいフレーズ。
きらびやかな舞台のすぐ外にはしかし、冷たい闇が広がっている。


感染症対策で彼らの引退イベントが軒並み中止となり、今月最後のコンサートも無観客になった。
目眩がするほど輝くステージの周囲は、一声の歓声もない深淵だった。
フレームに入る世界とその外側の落差は天と地のそれよりも大きい。

しかしこのイベントには、わずかだが地を這う者の抵抗があった。
主催者側の計らいか自主的な行動かはわからないが、ファンクラブがイベントスタッフを務めていたのだ。

観客として参加できないなら、スタッフになろう。舞台の影から、彼らを見送ろう。


彼女たちは一様に、思いつめた瞳で彼らの姿を追っていた。
ポーズを決めて微笑むアイドルたちは、彼女たちを見ていない。
それでも彼女たちは、彼らの凝視するレンズを通し、見つめあっていた。
声にならない歓声を贈りながら。
涙を流しながら。

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ウイルス感染症がもたらした新しい引退セレモニーというわけか。

私はなんとも言い難い思いで胸をざわつかせながらアイマスクをとった。
空港についたようだ。乗客が順列をつくって機外へ出ようとしている。

私は飛行機酔いがひどい。耳栓とアイマスクで完璧な防御をしていたらいつのまにか眠っていたようだ。
ずいぶんとリアルな夢をみたものだ。


乗客たちは粛々と、葬列のように静かに並んで降りていく。
さっきまで見ていた夢の中のファンたちのようだ。
いやもしかして、さっきの夢がこれから起きるのか。それを私は見届けようとしているのか。

感染症対策が徹底した飛行場はやたらと静かだった。私は他の乗客と同様、大人しく並んで列に従った。
スーツケースのように流れ作業で連れて行かれた先は、直結した専用バスだった。有無もなく乗り込んだ。

やはり、あの夢の再現性を確認する仕事なのか。私はぼんやりと乗客を見回した。
カメラを構えていた子がいる。泣きながらマイクを向けていた子がいる。
いったいどうなっているんだ。予知能力でも身につけたのか私は。


バスは、車体の真ん中から乗り込んで運転席側から降りるスタイルだった。
みなしずしずと乗り込み、1人ずつ席をあけながら座っていく。
最後に入ったのは五十路と思しき女性だった。これは舞台演出の人だ。
女性は大きなディレクターズチェアを抱え、最後尾に座った。

バスが出発した。

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私は何を見届けようとしているのだろう。
なぜここにいるのだろう。

驚くべきことに、私はそのとき仕事道具を持っていなかった。片時も離すことのない道具たちを身に着けていなかった。
いやそれどころか、私が私であると証明できるものを何一つ持っていなかった。何一つだ。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。全身から血の気がひいた。

バスに揺られながらそっと周りをみると、みな一様に何も持っていなかった。
ディレクターズチェアを抱えた女性だけが目立っていたが、よく見ると彼女も椅子以外のものを持っていない。
これはどういうことなのだ。

じわじわと私は身の置き所を失っていた。


ここはどこなのだ。私はなぜここにいるのだ。
パソコンもスマートフォンもない中、私は私を見失っていた。
私は何者にもなれていなかった。

引き返そう、空港に引き返すんだ。私は決心し、バスを降りた。小さなターミナルになった乗降場だった。
待合所のようなところに数人、職員らしき男性が立っていた。

「すみません、空港に行きたいのですが」

彼らは顔を見合わせ、首をかしげた。「空港? どこの?」
「戻りたいんですよ空港まで」
彼らの顔に戸惑いの色が浮かび、次第に濃くなっていく。

「じゃあ、すみませんがここがどこなのか教えてください。都道府県。」
自分でもずいぶん妙な質問だと思ったが、恥も外聞もない。ここはどこなんだ。足元を確かなものにさせてくれ。
彼らはさらに全身で戸惑った風になり、互いに顔を見合わせた。ごそごそと探しものを始めるような仕草になった。

「さあ・・・。何だったけ」
もごもごと、名乗らずとも事足りる地元だけの世界だから地名なんて不要なのだと言いたいようだった。

名というものは外部から定義づけられ、形を与えて機能する。無意識に過ごすには名さえいらないのだと今さら気づいた。
お手上げだ。


問いを失った私を持て余したのだろう、職員らしき男性たちはいつの間にか私の前からいなくなっていた。
私は天を仰いで座り込んだ。空はうすぼんやりとした曇天だった。
雑踏が徐々に私のまわりから離れ、音が消えていった。

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勝手にバスを降りたけど、私はこれからどこに行こうとしているのだろう。
あのままバスに乗り続けていたほうがよかったのだろうか。どこに連れて行かれるのかもわからないのに?
今の私はどこにでもいける。ひとりだ。自由だ。
自由なはずだ。

なのにどうして私は、これほどまでに混乱しているのだ。
どこに向かうべきかわかっていないから? 今どこにいるのかわかっていないから?
私が何者なのかわかっていないから?

私は両手で顔を覆った。もうなにも考えられなかった。
視野から色が抜け、真っ白になっていった。
私は透明だ。何者でもなくなった。誰もが気づかず通り過ぎるだけなのだ。



どのくらいたったのだろう。白装束の人が私の前に立っていた。
女性とも男性ともつかず、若いとも老人ともつかなかった。ついでに言うと白い装束も、着物ともローブとも言い難いものだった。
お遍路さんかな。だとしたらここは四国か。北の果てに来たつもりだったんだがなあ。
虚ろに眺める私を見て、その人が言った。

「ついてきなさい。連れて行ってあげるから」

その人は体を返し、あるき始めた。
私はあわてて身を起こし、後を追った。涙で前が見えない。両手でぬぐい、その姿を見失うまいと歩き続けた。


なぜついていこうとしているのだろう。私にもわからなかった。
その人が誰かもわかっていないのに。どこにつれていくつもりなのかも定かでないのに。
しかし私の中の何かが、これでいいと確信している。

私自身が自分を信じられず、どこにいるのかも、なんのためにいるのかもわからないときに、それでもなお声をかけてくれた。
私が何者であろうが、なかろうが、私の存在を認めてくれた。
それで十分だった。

私はその人に、どんな問いも願いも話しかけることはなかった。涙を流しながら、ただひとつだけ繰り返していた。
ありがとう。
ありがとう。

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・・・

行方不明となった彼の遺した手紙には、この先のことは記されていませんでした。

未知のウイルスによる感染症の拡大で地域間が断絶し、感染拡大が社会的に知れると風評が下がり経済破綻するからと、情報戦の裏側で都市の匿名化が進んでいるという噂を聞いたのは、メモを入手してしばらくたったころでした。

表向きの情報は一切感染に触れることなく平静を保ちつつ、街の内部では名を捨てて暮らす。そんな馬鹿げた匿名都市なんて、それこそ都市伝説だろうと笑い話にしたい。

でも、もしかすると。

今私のいるこの街は、ほんとうに実在しているのでしょうか。
今ここにいる私は、何者といえるのでしょうか。


うすぼんやりとした曇天の空を見上げるたび、ざわざわとした胸の痛みを感じるのです。

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