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わたしを見つめる

 わたしという人間は、をもう25年は考え続けている。
知らないことの方が多くて、最近少しづつ自分の取り扱い説明書が形になってきた。
世の中の人間はどれくらい己のことを理解しているのだろうか。理解できたから、難解な就職試験を乗り越えて社会人として立派に生きているのだろうか。
いいや、自分を卑下してはいけない。私だって日々様々なことを考えて生きている。
そもそも、なにを基準に「立派」と言えるのだろう。こんなことを考え続けているから、わたしのトリセツが完成しないのではないだろうか。


 SNSで何を発信したらいいだろうか、をとある人に相談した。返答を要約すると「親しみやすくて、素が見えるものがよいのでは」だった。

 さてここで私は考えるわけですよね。素の私ってなんでしょうか。
というか私はこんなことばかりnoteに書いている気がしますが、面白いのでしょうか。
SNSむずかしいです……。見るのは大好きだし、情報を投下し続けるだけなら問題ないのですが、いざ自分自身のことを発信しようとなると何を書けばいいかわからなくなります。
 昔は恐ろしいほど自分を知ってもらいたかったのに、今は自分を知られるのが怖いです。思ってたのと違うって言われたら?とか、こんな話聞いいて面白いかな、とか……。つまり己を語るのがさほど好きではないんですよね。どちらかといえば、自分以外の人間に興味が湧くことが多いです。なぜそう思うのか、なにをしているのか、どう感じたのか、なにに興味があるのか……。人に質問ばかりしているのはそのせいかも。
 一方で、ミステリアスな存在と化してしまったり、謎のイメージが生まれることもあるのでできればそれらは避けたいです。コリラックマじゃないけど、今日の私は明日の私と別人なので気にしないでほしい……。なんなら1時間で別人になれる……。

 とはいえ、役者でいる以上そんなこと言っていられないんですけどね。他者の人生を生きる前に、自分の人生をうまく見つめられるようになりたいです。なりたいとかじゃなくて、ならなきゃな、ううむ。
 こんな風に文章を綴っていくのも、きっと私の良さなんだと思います。お芝居、歌、おしゃべり……そして文章も含めて全部わたし。どんな味がしますか?どんな色がしますか?どんな匂いがしますか?知りたいな。私も知れるといいな。


 今晩はとりあえず、わたしを少し見つめられたということで。
 私、こういう感じの人間です。以後よろしくどうぞ。

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