武士道は狭義には、死の作法

武士道については、古来よりいろいろな人の著述があります。

有名なのは新渡戸稲造さんの『武士道』です。この著作は英語で書かれただけあって、欧米の人に日本人を紹介することに目的があったようで、武士道というよりは日本人論に近い。しかし名著であるのは間違いありません。

山本常朝さんは『葉隠』を口述し、武士とは「死ぬこととみつけたり」と紹介しています。『葉隠』は難解で、粗雑な頭の小生には完全には理解できません。宮本武蔵さんには『五輪書』があります。剣術の勝負について書いています。剣の使い方、勝つためのハウツー本といった内容で、武士道とはちょっと違うようです。

武士道は、広義には精神論なのでしょうが、狭義には死の作法といえます。

学生時代、部活でスポーツ剣道をしました。
当時のスポーツ剣道は北辰一刀流を基本としてました。おそらくいまもそうだと思います。
技に面、胴、突き、小手がありましたが、途中から突きは危険というので、禁止になったと思います。

面、胴、突きは攻撃する剣法です。面が決まれば頭蓋骨が割れます。胴が決まれば胴体が真っ二つになります。突きは頸部を突き、頸動脈が切れます。いづれの技も相手を即死させます。
小手は、面、胴、突きを避ける防御の技です。一瞬でも早く小手が入って相手の上腕筋を切れば、完璧な打撃を免れます。
この北辰一刀流は武士の剣です。武士の剣は相手に苦痛を与えずに即死させる剣、といえます。

剣道部は、北辰一刀流の師範が中心に指導していましたが、週に1回ほど天然理心流の老師範がやってきて稽古をつけてくれました。天然理心流という剣法は多摩地方で盛んだったそうで、新選組の土方歳三さんもこの剣法の使い手だったといいます。その老師範は土方さんの孫弟子を自称していました。本当かどうかはわかりません。

老剣士は二刀流でした。それだけでも珍しいのですが、裾払いという技を繰り出すのにはまいりました。裾払い、つまり足の裾を狙い、打つのです。足の裾には防具はありません。裾払いをくらうと痛い。打たれたところは赤くなります。

なぜ裾払い、なぜ二刀流かというと、天然理心流はヤクザの剣法だからです。幕府直轄地の多摩地方にはヤクザが多くいたといいます。ヤクザ同士の出入りから生まれた剣術が天然理心流です。

武士は戦場でたまたま出会った相手と剣を合わせます。相まみえる相手に個人的な恨みはありません。正々堂々と戦い、命のやり取りを行うわけです。
ヤクザは違います。日ごろの因縁や恨みが山積しての出入りとなります。相手には憎しみ、恨みが山ほどあります。

裾払いは、相手の足を狙って動けないようにしておいて、あとで恨みを晴らしながら、殺害します。ゆっくりと時間をかけて十二分に苦しめて、日ごろのうさを晴らして、最後は簀巻きにして川に放り投げて溺死させる。簾は浮力があって、浮き沈みしながら、ゆっくりと溺死させる方法だそうです。

二刀流なのは、ヤクザの出入りは屋内が多く、長い剣だと梁などの家屋にぶつかるからです。短い剣のほうが屋内では役に立ちます。武士は屋外での戦闘が基本で、屋内での戦闘は想定外です。長刀でいいわけです。

ヤクザ剣法の天然理心流は弱いかというと、そんなことはありません。実践的で、武士の剣ではありえない、1対2とか2対3のシチュエーションの剣法があるのです。武士の剣は1対1以外は考えられません。

江戸時代、1対1で戦うのは仇討ちの果し合いぐらいです。討ち入りなどでは複数の剣士による乱戦になったと思いますが、実践的な天然理心流を学んだ剣士は強かったかもしれません。

武士道は、たまたま出会った剣士同士が命のやり取りをする究極の作法です。相手に対する尊崇の念があるから、お互いが正々堂々と戦う。相手を苦しめることなく即死させる剣法は相手に対する究極の思いやりなのかもしれません。

武士は切腹に際しても作法があったといいます。罪を認めて切腹するとき、介錯人は短刀が腹に接した瞬間、斬首するのが習いといいます。腹を切る武士は前のめりに倒れるのが作法だそうです。後ろにかえるのは無作法とされています。

武士道とは狭義に解釈すれば、死の作法です。北辰一刀流と天然理心流の剣法から感じた武士道の解釈です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?