ヒトを食らう犬 犬を食らうヒト

写真家・文筆家・画家として活動している藤原新也さんの写真に人間の死体を食う犬を映した、有名な写真があります。
インド・ガンジス川に葬られた遺体を食う犬を写した写真です。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」のテキストが添えられています。ショッキングな写真です。

ヒトと犬は、太古のむかしから関係が深い。前史時代には、オオカミを飼いならしていたといいます。愛玩動物であり、番犬、狩猟犬などとして、犬はヒトの傍らに寄り添っていました。

しかし、犬とヒトの関係には別の一面もあります。それは藤原さんの写真にようにヒトを食う犬がいて、また犬を食うヒトもいます。日本は中世のころまでは死体を野山や道端に遺棄していて、おそらく犬などの動物が死体をきれいに食べて白骨にしていたのでしょう。宮中文化が栄えた京の都では死人を鴨川の東岸に捨てるのが習いだったといいます。

貴人はともかく、庶民に埋葬の習慣が広く普及したのは江戸時代になってからといわれています。それまでは、下層階級のヒトや行き倒れの旅人は打ち捨てられていました。その死体を処理したのが犬であり、からすでした。古い絵画史料にはヒトの死体を食らう犬やからすの姿が描かれています。

ヒトも犬を食う。愛玩したりヒトの生活に有用な犬は、ヒトにとって身近なたんぱく源だったようです。飢えたヒトは犬を食べて生き延びました。食べるだけでなく、鎌倉時代には犬に矢を射かける犬追いが行われていました。弓の練習のために動く犬を的にしたのです。

令和のいまでも犬食いの風習が残る民族や国はあり、東南アジアでの風習が知られています。韓国もついこの間まで犬食いが行われていました。いまはわかりません。

進駐軍の米兵がまだ軍服で街を闊歩していたころ、狗肉売りのコリアのおやじがいました。大きな荷台の自転車を押しながら売り歩いていました。後ろの車輪の両側に引き出しのある荷箱があり、そこから犬の肉をまな板上の台に載せて、包丁でさばいて売ってました。
おやじは「今日は赤犬だよ」と声を張り上げていました。いつも売っているのは赤犬でした。

一度、母親がコリアのおやじから肉を買って、食卓に出しました。赤みの肉で、ふだん食べている鯨肉より柔らかく、おいしかったのを覚えています。肉の色味と味だけは記憶にありますが、どんな料理だったのは覚えていません。

隣の家はジローという犬を飼っていて、隣のおばさんは「あいつが来たらうちの犬がいなくなった」といって、コリアのおじさんを疑っていました。中型の雑種犬でしたが、行方不明になった数日後にはどこかで拾ってきた子犬を飼っていました。名前はやはりジローでした。

ガンジス川は聖なる川としてインドの人々から讃えられています。その川に亡骸を葬るのは宗教上の理由があるのかもしれません。そして、その亡骸を犬が食らうのも宗教の延長線上にあるものとして、現地の人は理解しているのでは、と勝手に想像します。

犬食いも、ヒトの死体を犬に喰わすのも一つの文化なのかもしれません。

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