死にたい衝動と、その瞬間に脳が思いついた死ぬ方法の記録

2020年9月28日
わたしはいま、人生で一番死に近い場所にいる。
わたしは今、死にたくてたまらない。確実に死ぬ方法を考えては、死にたくなくて実施できずにいる。

この衝動をなにか別のものに当てたら生き続ける理由が増えるかもしれないと思い、noteに書き留めることにした。いつか、だれかの役に立つかもしれないし。


首つり

腕を切って階段でベルトで首を吊った。最初はそこまで苦しくなかった。段々と視界が砂嵐のようになり、本格的に脳に酸素が回らなくなってきたころ、急に全身が痛くなり、防衛本能が働いたのか気付いたらベルトを外し気絶していた。切った腕は痛くなかった。熱く脈うっていた。

服毒

身近にある飲めば死ねそうなもの

・塩素系漂白剤
・睡眠薬(大量に手に入れるには?)
・大量のエナジードリンク
・ヒ素
・タバコ
・殺虫剤

庭に、吸ったまま放置された吸い殻が、大量に落ちている。

事故死

高速道路の路上で車を降りたら、確実に死ねるだろうか。轢かれて生き延びるのは嫌だ。轢いた人にその後を生きる苦痛を与えることもしたくない。やはり死ぬには、自殺しかないのか。

飛び降り

20階以上の建物から飛び降りて全身を殴打すれば、確実に死ぬらしい。どうしようもなくなった時のために、自宅のそばの20階以上の建物を調べておいた。今夜は眠れそうだ。わたしはいつか必ず死ぬという事実だけが、今のわたしを安心させてくれる。

入水

今日は13度。海はきっと寒くて、身体が動かなくなって確実に死ぬだろう。せっかくなら鴨川がいい。鴨川のシャチは美しかった。

鉄道事故

これだけは、これだけは選んではいけない。いや、全部選んではだめだというのは当然だが。だめだ。生きないと。苦しい。死にたい。死にたくない。

失血死

人が死ぬのにはおよそ1.5ℓの血を流せばいいらしい。なんだ、動脈なんて切ってもぜんぜん死なないんじゃん。うける。

自損事故

頭がぼーっとしている時の運転中、駐車場のポールに突っ込んだ。自損事故だ。自損事故で死ぬこともあるだろう。その場に誰にもいなければ誰にも迷惑はかけないのではないか。海に落ちたら、わたしの死体が海洋汚染の原因になるか。

殺人依頼

ラジオで、中国のニュースが流れてきた。殺人を下請けの下請けの下請けの下請けの下請けの下請けが失敗したというニュースだった。わたしを殺してくれる人はいるのだろうか。

焼身

さて。自殺配信でもしてやろうか。どうやって死のうか。死んでも意味なんてない、と皆が言う。本当にそうだろう。でも、わたしにとって本当にそうか。殺人は社会が罰を下してくれる。じゃあ心の殺人はどうか。無罪か。己の死をもって生き続ける罪人へ罰を与えたいと願う、こんなくだらないことを考えられることこそが、生きている証拠か。

事故

今日高速道路で、牽引車の死角にいた。轢かれそうになったが反射的に避けてしまった。そのまま事故で死ねたら良かった。

首吊り

いまだったら、こんどこそ、死ねる気がする。死にたくない。痛いのも苦しいのももう怖くない。このままこの苦痛を味わって生きて居続けるほうが遥かに怖い。死にたい。死にたくない。

飛び降り

頭から落ちたら確実に死ぬのかな。首が折れて死ぬのと、顔が潰れて死ぬのと、どちらになるのだろう。どちらでもいいけど。気になる。好奇心があるということは次の1秒も生きる理由になる。

窒息

苦しくて息がうまくできない。喉の奥が詰まったように狭くて空気が通らない。このまま死ねないものか。死にたくないけれど。死にたい。

一酸化炭素

有難いことに、家に薪は残っている。何もなくなった家に。薪はある。そういえばタバコの吸殻も残されていたが、食べれば死ねたのだったのだろうか。

轢死

轢かれて死ぬなら、自分の車に轢かれたい。
大事な車。大好きな車。これだけは失いたくない。奪われたくない。死んだら誰か、大切にしてくれるかな

飛び降り

全身殴打したら、痛いだろうけれど、この苦痛を味わい続けるのとどちらがマシだろうか。思えばあの日も痛かった。痛くて仕方なくて。でも

首吊り

いまだったら、成功できるかもしれないと、ベルトに手を伸ばしたけれど、わたしのために泣いてくれた人たちの顔が浮かんでやめた。こんな気持ちになるのははじめて。わたしなんかのために、泣いてくれたなんて。


2020年11月4日
恒常的に抱き続けていた「死にたい」という衝動が、「あの時死なないで良かった」という確信に変わった。

この数ヶ月、死にたくて、死にたくなくて仕方がなかった。「死にたい」と嗚咽を漏らすたび、誰かが止めてくれた。人の愛に触れた。それでも尚、死にたいという衝動は収まらない。そんな時に死ぬ方法を考えていると、不思議と生きていられた。

死ぬより苦しいことはある。確かにある。けれど、生きていればなんとかなるのかもしれない。でも、そんなこと、死にたくて仕方ない時は、詭弁にしか聞こえない。分かる。だから。

わたしは、すべての人の「死にたい」を否定しない。死にたくて、死にたくないあなたは優しい。優しくて、強くて、つらくて仕方ない。わかるよ。

いつかこの記録が、誰かの「死にたい」の代弁になれたらいい。そして、誰かの「死にたくない」に、寄り添えたらいい。

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