見出し画像

生きていることの懐かしさ

10年くらい前、誰かのFacebookの結婚報告のコメントに吉野弘さんの祝婚歌の詩が流れてきた。

『生きていることの懐かしさにふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても二人には わかるのであってほしい』という詩。
当時の私は"生きていることの懐かしさ"が何なのかわからず、その頃から約10年ほど"生きていることの懐かしさ"について考えてきた。

***

結婚し夫婦となった2人が、生きていることの懐かしさを感じるというのは、共に歩み続ける中でお互いの昔を懐かしみ、また歳をとり、また懐かしむ、同じ思い出を作る、同じ過去を生きる、同じものを大切にし、同じ今を生きる、とか、そういったニュアンスのことを言っているのだと思う。
けれどもこれは結婚に限らず、生きていることの懐かしさを感じる場面はもっとあるはずだと思った。

私たちは、一生のあいだにたくさんの人と出会い、過去を作り出すものだ。出会ってもすぐにすれ違うし、少し立ち話をして、また片側二車線の渋滞に飲まれて流されてしまう。
その時、どこか懐かしさを感じる人の前でどうしても立ち止まってしまうような気がする。

その懐かしさは、得体の知れない何かで、昔の誰かに似ているような気もするし、その誰かがわからなかったり、どこかに忘れてしまった記憶、もっとずっと昔のことかもしれないし、現実ではないかもしれない、いつか見た夢とか、思い描いた空想とか、どこにも着地点の存在しないもののような気もしてくる。
でも、懐かしいと感じたことはほんとうで、それだけしか手掛かりのない"わたしの生きた全て"のようにも感じられる(ーーー感じるものだけがすべて)。
懐かしいと感じた瞬間、それは経験したことも、経験していないことも、見たものも、見たことがないものも、すべての過去が私になる。私そのものになる(ーーー感じたことがすべて)。
生きている懐かしさを感じる人に出会った時、私は生きていて良かったなと思う。歳をどれだけ重ねても、手に入れたものは何一つないけど、私は、懐かしさを感じられるくらい、生きてきたんだなと、ようやく思える。

***

フラワーカンパニーズの深夜高速という曲がある。『生きていてよかった そんな夜を探してる』
生きていることを辞めたかった、そんな過去と今があった、でも私たちは、いつかどこかでそれさえも諦める。底まで落ちたらあとは上がるだけというのは本当で、海底はあまりにも息苦しく、水面の光が遠い。あまりにも遠くて、どれほどもがいても届くとは思えない、けれど、ただ、酸素だけが、どうしてもどうしても、欲しかった。
欲しかっただけだった。
『生きていてよかった そんな夜を探してる』
生きるよろこびとは、最後はここに行き着くのだと思う。そんな夜だけを、今でも夢見ながら、夢を見ながら、夢を、夢を、ずっと、ずっと、夢見ながら、そういう青春ごっこを今も続けている。
『生きていてよかった そんな夜を探してる』
これは私自身のことだけでなく、どうか君のことでもあって欲しい。全然違う場所で同じ海底を漂った、その先で、必ず巡り合おうとする私たちへ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?