引用日記⑱

だとすれば,ここではもういちど,ジューチカの死がペレズヴォンの導入で乗り越えられたように,イリューシャの死についてもまた乗り越えの道筋が示されねばならない。そして山城と番場は,まさにそのためにこそ,ドストエフスキーはここで最後,コーリャにカラマーゾフ万歳と叫ばせたのだと考えるのである。番場は次のように記す。「イリューシャがイリューシャであったことが,そもそもまったくの偶然であった。新しい「よい子」がやってきて,父親とともに新しい関係を始めることは十分に可能なはずだ。よみがえったジューチカが新たにペレズヴォンとしてやってきたように,新しいイリューシャもまた,交換可能な偶然の身体としてやってきて,父親とともに,偶然を必然へと替えていく新しい運動を開始するだろう」。ある子どもが偶然で生まれ,偶然で死ぬ。そして,また新しい子どもが偶然で生まれ,いつのまにか必然の存在へと変わっていく。イリューシャの死はそのような運動で乗り越えられる。ぼくたちは,一般にその運動を家族と呼んでいる。

東浩紀『ゲンロン0  観光客の哲学』(ゲンロン、2017年)

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