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散文韻文

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2020年9月の記事一覧

昨日

今日も東十条へ出勤。遠い。11時出勤なのに数分の遅刻が常態化している。Suicaをオートチャージにしてからお金を使い過ぎてしまう。通勤途中にサミットとサンドラッグが繋がっている施設があり涼しいからその中を通っていく。ベイカリーコーナーのドーナツがいつも美味しそう。会社に着いてしばらく汗がひかないのでうちわであおいでいる。昼は遠いほうの松屋まで歩く。生姜焼き定食のごはん大盛りを食べる。アプリのクーポンを使う。会社に戻ったらまた汗がひかない。20時に退勤して、富士そばに寄ってから

ラディカル・ジッカ・ストーリー

 私に悠希と名付けた両親は一九九四年に結婚をした。  母方のおじいちゃんはすでに亡くなっているが、これを書いている二〇一八年におばあちゃんはまだいるので帰省するとたまにおばあちゃんの家にも行く。私にとってのおばあちゃんの家は母にとっての実家でもある。私が単に「ジッカ」と言うときの私自身の実家は私が生まれて一年ほどしたころに建てられた。ふくや食堂という名前のうどん屋を、私の生まれる前には一階でやっていたらしい実家を、父は継がなかったので結婚を機に建て替えた。だからそのあいだの、

短篇小説「横顔の人」

三秒か四秒か五秒、人が川の上を歩く。岸から船に乗り込むためだ。いや、船から岸へ渡るためだ。行き交うとはそういうことだ。船は速い、速い、速かった。船内には鏡が多すぎた。船長だって人間だ。こめかみのあたりがキーンと痛んだ。今、私の真下には魚が泳いでいるかも。死体が揺蕩っているかも。真上には……、やめよう、下のことを書いたから次は上のことを書こうなんてことは。船のなかは、一階には進行方向に向かって長椅子が並んでいて真ん中が空いているから道になっている。後方には広めの甲板がある。風は

短篇小説「湖岸の道」

二〇一八年八月二日(木)  在来線という言葉は昔はなかった。新幹線という言葉が生まれてそれ以外の電車を在来線と呼ぶようになった。電車という概念すらなかった時代にはそもそも電車という言葉もなかったのは当然だが、とにかく新幹線がなかった時代にはそれは単に電車とだいたい呼ばれていた。ぼくのおばあちゃんは電車のことも汽車と呼ぶ。とはいっても、ぼくは電車がなかった時代なんて知らないからこれは他人から聞いた話だ。他人から聞いたというのも本当はウソでネットで読んだ話だ。  ぼくは、小さいこ