見出し画像

11年前と今とノスタルジー その1

乗ってみたかった列車に乗った後は久々に「リニア・鉄道館」という鉄道博物館を訪れる。2011年のオープン当初に一度父に連れてってもらった以来11年ぶり。その間に展示車両が変わっていたりしているが、メインやラインナップは大きく変わらない。

その写真集で一度思い出を綴ったりしたが、一言では収まらず、今回は記事でボリュームアップして改めて綴っていく。

あおなみ線×レゴ

まず、「リニア・鉄道館」へは名古屋から「あおなみ線」に乗って終点金城ふ頭を目指す。埼玉や京都の鉄道博物館とは異なってJRからはかなり離れた位置ではある。とはいえ、「クルマ社会」だからこれでもちょうど良いのかもしれない。ちなみに前回は滋賀の実家から父がミニバンを走らせたため、「あおなみ線」完全お初だ。

やってきた電車は驚きの「レゴランド」のラッピング!!「リニア・鉄道館」のご近所であるこの施設の開業も当時経営難だった「あおなみ線」には良い強刺激になったであろう。

これにとどまらず、河村たかし名古屋市長が「あおなみ線にSLを走らせよう!」なんてこと言ってJR西日本から「北びわこ号」を借りたことがあったが、これっきり進展はない。今のまんまでも十分なのだろうし、そもそも大都会でのSLはいろいろしんどいことになりそうだもの。

余談は置いといて、幼かった僕がお世話になりまくった「レゴ」。街並み系や乗り物系を買ってもらっていた。リアルな電車を作れるプロほどではなく、ただ街並みを作って遊ぶだけではあったが、非常に楽しかったのを覚えている。

沿線は関西で言うと大阪南港や神戸ポートアイランドのような工場倉庫街が立ち並ぶ。さらには貨物ターミナルも見えて赤い機関車がせっせと貨車の入れ替えしていた。ちなみに「あおなみ線」は元々貨物専用だったのが始まり。

雨降る中でいろんな曲を聴いたが、比較的晴れ男(?)な僕にとっては「雨ソング」を流す機会がなかなか少ない。梅雨に出かけるか、降水が多い冬の日本海側に行くのなら狙ってたくさん聴けるとは思うが。

ついにやってきた…!

名古屋から20分で金城ふ頭に到着。

「リニア・鉄道館」「レゴランド・ジャパン」を始め、たまにフェスをやってる「ポートメッセなごや」「レゴランド」の水族館「シーライフ」などエンタメ系施設が集積している。その他「ふ頭」の名の通り「海の物流拠点」としても賑わう。

駅から雨に濡れずに歩いて数分。いよいよ「リニア・鉄道館」に。事前に購入したデジタルチケットを見せていざ入場。

お出迎えした三銃士

入るや否や、試験でとんでもないスピードを叩き出した「三銃士」がお出迎え。左には「129㎞/h」を記録した「C62 17」。新快速とほぼ互角で当時としては度肝を抜く韋駄天ぶりをみせた。

その隣には「443㎞/h」を叩き出した新幹線試験車「300X」。空気抵抗の比較のため両端で顔が異なっていて、もう片っぽは滋賀県米原市にある「鉄道総研」に展示されている。屋外のため、琵琶湖線や新幹線から見られる。故郷でお馴染みではあるが、こういう過去を知る人はファンでないと分からない。

一番右には名の由来となったリニアモーターカー「MLX-01」。「581㎞/h」という当時世界最速(有人)を叩き出す歴史を刻んだ名車。今や「L0系」がリニアの顔でこちらが600㎞/h超えで記録更新したが、僕にとってはこれがリニアの1番のイメージとして刻まれている。

700系と300系と僕

そこから進むとメインの展示フロアに入る。

新幹線や在来線を駆け抜けた選りすぐりの車両が一同に会する。

まずは歴代新幹線。個人的には700系と300系は強烈に懐かしい。年に数回米原から新大阪までいずれかの「ひかり」「こだま」に乗って、母方のおばあちゃんに会いに行っていた。「近江富士」こと三上山(滋賀県野洲市)や「ロッテリア」「ロッテ」「ダイハツ」「日清食品」といった工場群、交差する近鉄や京阪、近江鉄道、阪急、大阪モノレールにも興奮したりした。東海方面に行くと、岐阜羽島で見える「“SANYO(現パナソニック)”のソーラーパネル」や「木曽三川」鈴鹿山脈の山々を眺めつつ、岐阜と愛知のところどころで見られる名鉄に興奮していた。かつては2つとも花形。小学生の頃は700系と言えば「のぞみ」で「高嶺の花」感が強かった。300系は「ひかり」「こだま」で気軽に乗れた方ではあるが、ときどき「のぞみ」で登板することもあったからまだ華やかだった。しかし、いずれも過去の存在になってしまったのは時間の速さや新陳代謝が著しく高い東海道新幹線ならではかも。それ以前に新幹線は寿命が短いもんであるから。

あまり乗れなかったが

エモさに浸りつつ、100系と0系を見てみる。100系は先頭車に「さよならラッピング」をしていた2003年に乗ったのを5歳ながらおぼろげに覚えている。その後、母、妹と3人で神戸に行った際、新神戸から新大阪まで、グレー、黄緑、黒のカラーをした山陽オリジナルの100系に一度乗った。それぐらいの思い出しかないし、食堂車は物心つく以前に営業を休止していたが、どこか近しい感覚を覚える。

「元祖」である0系の座席は変わり種。回転させて向きを変えるタイプではなく、新快速や京阪、名鉄の特急などのように座席をバタンバタンにひっくり返して向きを変える。特別料金を取る列車だとこういうのは見られないし、新幹線に至っては後にも先にもこの車両だけ。それでも、「高度成長期」の華やかさやみんなの憧れを象徴するもんだったと思えば、これでもアリだったのだろう。

0系は結局乗れずじまいだったが、僕が小学生の頃に山陽新幹線で6両の「こだま」として最後の活躍をしたのをビデオで見て、老若男女に見守られながら終焉したのをテレビで見ていた。それに「よしもと新喜劇」では座員の1人である伊賀健二さんが丸い顔、白いスーツ、青いネクタイで「横顔新幹線やーん!」といじられる元になったぐらいに新幹線と言えばという電車だ。この愛らしくユニークなビジュアルも愛されて長生きした由縁なのかもと思ったりする。

3代目新快速と特急

ところ変わって在来線。クリームと茶色の117系は今でも草津線や湖西線の普通列車で現役な上、寝台特急「WEST EXPRESS銀河」として生まれ変わったりと関西でお馴染みの顔。東海地方でも長らく新快速から普通まで活躍。白にオレンジの帯を巻いた普通列車大垣行きが米原駅によくいたのが僕の脳裏にしっかり焼き付いている。

赤とクリームの381系。「やくも」で乗ったのと全く同じ車両。

「やくも」はモダンにリニューアルされているが、こちらはレトロなまま。バランスボールのような振り子の不安定乗り心地はやはり忘れられない思い出。引退のカウントダウンが迫る中で、いい思い出を作れてよかったと振り返る。

同じ色合いのキハ181系。大阪から兵庫を縦断して鳥取まで結んだ特急「はまかぜ」を最後に10年以上前に過去帳入り。旧式の大馬力エンジンは経験できなかったが、どんな香りと音とクセを堪能できたのだろうかと想像したくなる。

まだまだ綴りたいところだが、長ったらしくなったので続きはまた。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。