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閉校の思い出

出会いと別れが交錯するこの季節。異動や退職、卒業、テレビ、ラジオだと改編などなど。また、少子化の昨今だと学校の統廃合によって、年度末で閉校となることも多い。僕自身も一度これを経験した1人だ。そんな僕の母校の閉校にまつわる思い出を綴っていく。

入学したときから。

僕が入学した時点で統廃合はほぼ決定していて、入学して初っ端の学年集会で主任の先生がこのことに言及していたのを覚えている。また、併設の福祉科も僕の同期生をもって、募集停止。近隣の高校の総合学科に設置される福祉コースに移管。そして、母校と同じ敷地内にある高等養護学校も移設されることになった。そして、僕らの代が「統合前最後の卒業生」となることになった。

公募と無念

新校名は公募による結果、近隣の学校の名が引き継がれることになった。ここで学校名を残すことの可能性も残されていたが、そういうムーブメントが母校には無く、ある先生は集会にて「なんでなん?」という疑問とともに淡々と悔しがった。そのときの僕の気持ちなど以下に綴っているのでこちらもご覧あれ。

閉校の思い出が全国区に。

閉校の思い出作りとしていろんなことが企画された。そのうちの一つとして、ある企業のビッグな企画に参加した。それは大塚食品の炭酸飲料「MATCH」の「青春ボトル甲子園」。全国の高校生からラベルに載せる写真を募集するというもの。約200校が参加し、24校が採用。2016年6月から期間限定で全国で販売された。その採用された一つが我らが母校だった。

↑母校が載ったスペシャルラベル
校章を人文字で作ったもので、母校、高等養護の全校生徒が参加。この真ん中上あたりに僕も参加している。
この企画の当選が決まって、大塚食品さんから「MATCH」か何かを全校生徒に贈呈されたことを覚えている。それから卒業からしばらくして、インスタグラムを見ていたらこの「MATCH」の投稿している人がいて、それを見た僕は近所のスーパーに探しに行き、母校のラベルが描かれた「MATCH」を購入した。あまりにも嬉しかった僕はこのラベルを永久保存として現在でも大切に保管している。

半分身バレ感もありますが、年度末で出会いと別れの季節ってことで母校の閉校の思い出を綴ってきた。母校の名は消えてしまったものの、最後に思い出作りできたし、ある先生の鶴の一声で愛校心を呼び起こされたりして、母校を誇れるようになった。しかも。最近では母校の大先輩である「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督の大活躍という嬉しいこともあった。名前は消えても、思い出や母校の誇りは、我々同窓生の心の中に息づいている。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。