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水の事故と僕の変化

自転車で駆けていると、大きな川の岸や橋周りに警察、消防車が待機している上、空にはヘリコプター2機と消防ボートが航行していた。さらにはたくさんの一般人が川の方を見て何か心配そうに見守っていた。何の人だかりか後から調べると

小学生が2人川に転落し、流されてしまったのだ。ちなみに見ていたヘリは「防災ヘリ」と「NHK」だったということ。この翌朝も雨降りしきる中見つかっていない残る1人の捜索が続いていた。そんな大事を見て、僕は大昔のことをふと思い出す。

溺れたあの日

だいたい小学1年の頃、1人で用水路のそばで遊んでいるときのこと。用水路にかかる橋の手すりを跨いで、カニ歩きして遊んでいた。すると、手を滑らせて用水路に落下。溺れてそのまま流されてしまったのだ。ただ幸いなことに、近所の人が通りかかって僕を助けてくれた。そのまま救急車で緊急搬送されて、1週間入院することになった。

消えた冒険心

以前から、1人で親の許可なく遊びに行くことが多く親を困らせることが多かった。そんな中起こったのがこの事故で、覚えてはないが、おそらくこっぴどく怒られたのか一切そういうことがなくなった。今の僕は「冒険心の無さ」を気にするビビりではあるが、かつて冒険してたこともあった。それが嘘のようになった出来事だった。

実名出され

おまけに、このことがあったからか小学校の「字会あざかい」で危険な場所を挙げるときに「ゆうきが落ちた用水路」って言われるようにもなった。からかわれてるのか分からないニュアンスだが、あんな状況で注目されこんなことになるのはやっぱり嫌だし、悪く後を引くことがあるんだと思った。

「水の事故」はいろんなところで起こって大抵は悲しいことになっている。一方、僕はどういう巡り合わせか助かって今こうして綴ることができている。ただ、助かったとていろいろ心配されたり、悪い注目を集めるし、僕はいろいろ言われるし、悲しませることをしてバチが当たったわけだ。果たして、奇跡とかのハッピーワードで終わらせていいのかは分からないが、せっかくの命だから尽きるまでは無駄にはしたくない。そういう感謝は否定したくない。それだけは確かだ。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。